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旅日記


2003年09月19日(月)
平安
晴れ
- 9月19日のメモ -

 
 ニイハオ。

 朝6時30分起床。宿近くの24時間営業の店でコーヒーと目玉焼きを食べた後、支度を整え、南寧車站(南寧バスターミナル)から8時発の桂林行きに乗り込んだ。バス内はほぼ満席。ベトナムと打って変わって、バスターミナル、バス内に外国人の姿は全く無い。乗客の多くが中国人観光客、もしくはビジネスマンといった感じだ。

 数回トイレ休憩をはさんだ後、14時すぎ、桂林車站に到着。周囲には「水墨画の世界」と言われ、日本でも有名な奇岩の風景が広がっていた。さすがここは中国でも有数の観光地である。バスを降りたとたん、多くの人々が声をかけてくる。何を言っているのかさっぱり理解できないが、「ホテルは決まっているのか?」、「バイタクが必要か?」、そんなことだろう。「リーベン」、「イップン」、「ニップン」などと連呼していると、やっと皆が理解してくれる。「あぁ、こいつは日本人で中国語を理解していない」ってことに。しかし、彼らは攻勢の手をあきらめない。なんだかんだ中国語で話し掛けてくる。基本的に、中国人は声がでかい。人と人とが普通に話を進めているとき、携帯電話で話すとき、彼らの声は日本人の想像を越えたものだ。数人の中国人が私の周囲で話す。うるさいのなんのって。

 桂林車站の切符売り場で、「我要去(ウォーヤオチュー)」と言いながら、「和平」と書いた紙を差し出す。このごろ、ウォーヤオ(I want)くらいなら、何とか通じるようになってきた。というのも、ご存知の通り、中国語にはアクセント(声調)があり、ウォーヤオを単にカタカナ読みしても全くといってよいほど通じないのだ。この場合、「ウォー」は高い声から下げて再び上げる、「ヤオ」は高い声から下げるといった風に発音しないと通じないのだ。窓口のおばちゃんが俺の用意した紙に書いてくれたところでは、「龍勝」行きのバスに乗車して、「和平」で途中下車しろとのことらしい。龍勝行き和平下車のバスチケットを購入し、15時頃、指示されたマイクロバスに乗り込んだ。

 バスは山道をぐんぐん登っていった。その間、10代後半と思われる隣席の女性と少しの時間筆談を楽しんだ。
「あなた是来中国旅游的か?」(←「あなた」と「か」は日本の漢字では表記できない…)
「是」、「對」
あぁ、入力するのにいちいち漢字を探すのが面倒くさいので日本語で。
「なぜ中国語が書けるのか?」
「日本ではこういった文字も使う」
「和平に何をしにいくのか」
「棚田を見に行く」

 そして16時頃、10数人の乗客の中から俺だけが降ろされた。降ろされた場所は、周囲に数軒の建物があるだけの辺鄙なところだった。「ここが和平村か?」びっくりした表情をさせながら、俺の隣に座っていた女の子の顔を見あげると、笑顔で手を振っていた。

 「はて、どうしたものか。ここ和平にいくつかの宿があると聞いていたのだが、周囲にそんなものは全く無い…」
とりあえずタバコでも吸うか。道路の端に腰を下ろすとタバコを吸い始めた。程なく、一台のマイクロバスが目の前に停車し、中からおばちゃんが出てきて、俺に話し掛けた。
「****」
「我リーベン」、「我イップン」、繰り返していると、それが英語に変わった。
「ライステラスに行くの?」
えぇ、多分明日」
「宿は決まっているの?」
「いえ。でもここ和平村に安い宿があると聞いたので、ここにやってきました」
「平安には宿はないわよ。私はこれからライステラスの近くに帰るのだけれども、あなたも来なさい」
「泊まるところはあるの?」
「私はある宿のマネージャーなんだよ。そこに泊まりなさい」
でも高いんですよねぇ」
「そんなことないわよ。20元くらいよ。とりあえず乗りなさい」
「まぁ、良いや。行ってみよう」
英語を話し、ちょっと強引で、怪しいおばちゃんにつれられ、バスに乗り込んだのだった。

 またもや山道をバスに揺られること1時間。「道路はこれにて終了」と思われる場所にバスが停車した。そこは周囲の山々に延々と棚田が広がるとても美しい場所だった。華南の平野部では二毛作が可能なためか、稲刈りどころか、すでに今年二度目と思われる田植え作業が済んでいた場所もあった。しかし、ここは違った。標高は1,500mほどか。今まさに実りの時期を迎えていた。また、この地に住む部族の伝統的な衣装なのであろうか、高齢の女性達は黒い上着に赤いスカートという独特の服を身につけていた。彼女等の髪型もこれまでに見たことのないものだった。恐らく数十年も髪を切っていないのだろう。2mはあろうかという長髪を頭の上で一まとめにしていた。
「これは、なかなか面白いところに着たぞ」

 おばちゃんとおばちゃんを迎えに来ていた娘さん、おばあちゃん。この3人に俺を加えた4人は、徒歩で山道を上り始めた。所々に石が埋め込んであるだけの簡素な山道だ。横幅が狭く、人がすれ違うのもやっとだ。おばちゃんは8羽の鶏を天秤棒に担いでいる。時折、おばちゃんの持つ袋の中から「コッコッコッ」と鳴き声が聞こえる。娘さんは野菜類をこれまた天秤棒に担いでいる。10Kgくらいはありそうだ。おばあちゃんは米袋をひとつ背中に載せている。これも10Kgくらいの重さがあるだろう。そして俺の背中には25Kgのバックパックが載っている。

 棚田の合間をぬうように上がり始めて40分ほどが経過し、小さな集落に入った。辺りには「**旅館」という文字を掲げた建築中の建物が目立つ。おばちゃんに聞いてみると、ここ数年は中国人観光客が多数訪れるらしく、この地は建築ラッシュの最中なのだという。
「でも私んところが、一番の老舗だよ!」
おばちゃんが俺のほうを振り返って言う。
「じゃぁ、おばちゃんの家もこのあたり?」
「もう少しだよ!」
「はい。でも、おばちゃん30分で着くっていっていたよね。既に40分経っているけれども…」
「同じだよ、30分も40分も!」

 途中5分の休憩をはさみ、計1時間ほどかけてやっと宿に到着した。少々疑っていた「おばちゃん」は正真正銘宿のマネージャーだった。流暢な英語を話すのは、中学校で英語教師をしていた(いる?)からだそうだ。
「おばちゃん、ビール頂戴」
「あんた、シャワー浴びてからになさい!」

 そんなこんなで、おばちゃんがマネージャーをつとめる「ロンジンホテル」という宿の一泊10元の多人房(ドミトリー)にチェックインした。ここはホテルというよりもロッジといった言葉が似合う木造4階建ての大きな建物だ。この近辺の建物はどれもそうだが、伝統的な技法を用いて建築されたらしく、釘は一切使われていないそうだ。木を組み合わせただけで4階建ての家が完成するとは…。なんとも俺には信じ難いことなのだった。

 ドミトリーながら、滞在者は俺のみ。シングルルームのような快適さだ。木の匂いがとても心地よい。今夜はゆっくり眠れそうだ。
 

- 本日の出費 -

1USD=8.27元
1元=14円

- 移動費 -

From : To : 手段 : 値段 : 所要時間 :
南寧 桂林 バス
南寧運徳汽車運輸有限責任公司
80元 6時間
桂林 和平 バス
桂林運輸集団有限責任公司
11元 2時間
和平 平安 バス
5元 1時間
平安 宿 徒歩 - 1時間

- 飲食費 -

コーヒー * 1 (朝食) 2元
目玉焼き * 1 (朝食) 2元
ビール * 2 (おやつ) 6元
野菜炒めとご飯 * 1 (夕食) 5元
ビール * 2 (夜食) 10元

- 雑費 -

中南海 Lights (たばこ) 4.5元
宿代 10元

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