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旅日記


2003年02月11(火)
サラエボ

- サラエボの町を歩く -

 
 朝9時起床の後、シャワーを浴び、街歩きを開始しました。雪の中、てくてく歩きました。ツーリストインフォメーションを訪れてみれば、案の定閉まっています。銀行を訪れれば、やはり閉まっています。商店やレストランもすべて閉まっています。なんと、今日はイスラム教の休息日というの?お休みの日なのでした。しかし、ここはセルビア正教と、カトリックと、イスラム教の人々が住む国です。どこか空いているはず。そんな期待も早速裏切られ、やはり全てのお店、オフィスがお休みなのでした。変なの。

 ツーリストインフォメーションへは、市内地図を入手したり、駅の場所を聞いたり、見所を聞いたり、そんな理由で、訪れようと思っていたのですが、閉まっていてはどうしようもありません。しかたが無いので、市内で一番の5つ星高級ホテル、ホリデーインにずかずか入っていって、あつかましくもいろいろな情報を入手してきました。
「ここに泊まっている訳ではないのですが…」
「ただの地図があったら、ください」
「見所を教えてください」
「両替したいのですが、今日営業している銀行があれば教えてください」
「郵便局の場所を教えてください」
「駅の場所を教えてください」
ホリデーインの受付のおばちゃんは、作り笑いを浮かべながらも、一応、いろいろ教えてくれました。ごめんね。お金もちになったら、宿泊するからさ。本当にありがとう。

 町を歩いていて気づきました。やはり、この町には戦争の跡が確かにありました。多くの建物には弾痕が残っていますし、廃墟のような建物も非常に多いのです。割れた窓ガラス、迫撃砲が直撃したと思われるビルの中腹にある大きな穴、1993、1994年製のお墓…。しかし、一方で町を歩く男女は腕を組み、こどもを肩に乗せながら笑顔で通り過ぎる父親…。人間の愚かさと、人間のたくましさ、勇気、家族、故郷、様々なことを考えさせられました。終戦から数年が経過した現在でさえも、国外に難民として避難した人々の中には、未だにこの町に帰って来ることが出来ない人々も多いと聞きます。むむー。いろいろなことを考えました。

 セルビアの皇太子が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなったこの町、冬季オリンピックを開催したこの町、1990年代前期から中期にかけて激戦の地と化したこの町、現在も国連の治安維持部隊が滞在し、復興期にあるこの町。いろいろな意味で、興味深く、奥の深い町なのでした。

 町を歩いていて、私にとってもう一つ目立ったのが、市内をくまなく走っている黄色と青のバスです。バス自体はよくある普通の乗合バスなのですが、なんと、このバスの全ての車体には、でかでかと"JAPAN"の文字が書いてあるのです。詳しく書くと、"JAPAN"の文字の下に、"Official Development Assistance COOPERATION BOSNIA AND HERCEGOVIA 1998"と書いてあるのです。どうやら、日本政府がODAの一環として、数十台か数百台のバスか知らんが、この国に提供したらしいです。日本人として少し誇らしい一方で、俺の税金がこんな日本と離れたところで…なんて気分にもなりましたが。町を歩いていて、今日も「チャイニーズ!」なんて馬鹿にしたような口調で(この国でも中国人は評判が悪いらしい…。何をやらかしたんだ中国人?)声をかけられました。キッとしながら、「日本人だ!」と返すと、彼らはびっくりした表情のあと、笑顔になるのでした。こういった対応の変化の裏には、上述のバスのことなんかも、影響しているんでしょうね。

 明日は、今は墓地になっているというオリンピックスタジアムを訪れてみたいと思います。なんでも、先の戦争で亡くなった市民が大変な数に上ったために墓地が不足し、しょうがなく、オリンピックスタジアムのグラウンドを墓地にしたとのことです。墓地では、戦争で亡くなった人たちに対して、そして今後のこの国の平和を、また、この世界全てがうまくいきますように、そんなことをお祈りしてこようと思います。

 以上。

- 本日の出費 -

レート : 1KM(マラカ)=\60
レート : 1E(ユーロ)=\125

- 移動費 -

From: To:
 

- 飲食費 -

ビール500ml * 4 (夕食) 7.2KM(1.2 * 6)
ソーセージ (夕食) 1.6KM
ゆで卵 (夕食) 0.5KM
ポテトチップ (夕食) 1.6KM
 

- 雑費 -

スレデッツ (たばこ) - ブルガリアで買いだめした
-
宿代 E10

更新地 : SARAJEVO ( BOSNIA & HERZEGOVINA)

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