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旅日記


2003年03月28日(金)
サフランボル
晴れ
- 初ハマム体験 -


 昨晩23時30分にイスタンブールを出発したバスは、朝6時、サフランボルのクランキョイ(新市街)と思われるところに到着。隣席のトルコ人に、「サフランボルのチャルシュ(旧市街)に行きたいのだけれど…バスをここで降りればいいの?」と聞いてみたところ、「まだだ」との返事。その言葉に安心して、再度眠りに落ちる。2分後、運転手にたたき起こされる。「ジャポヌム、おまえはバスに乗るときに「チャルシュに行きたい」って言っていただろう。ここで降りろ」。「なぜ?だって隣のおっちゃんはココじゃないって言っているし…」。運転手の「チャルシュに行きたかったら、ここからドルムシュかタクシーで行け。それが最良だ」という言葉を信じて、バスを降りる。はて、バスを降りてみたものの、周囲に人の姿は全く見当たらない。どうしたものか。とりあえず、バックパックを道端に置き、タバコを一服する。
「そういえば、1人旅ってこんな感じだった。何処とも知らない場所に1人下ろされ、宿探しも全て自分でやらなければいけない。胸の中は心細さと不安でいっぱい」
俺って、1月前まで毎日こんな不安を感じながら、それでも頑張って旅行していたんだ。この寂しさに慣れてしまうまで、あとどのくらいの時間がかかるんだろう。

 一服を終え、再びバックパックを背負う。久しぶりのこの感触に、俺の背中も緊張気味。今ひとつしっくりこない。しかし、とにかく歩き始める。道も分からず右往左往していると、やっと早起き老人を1人発見。英語で道を尋ねてみる。が、全く通じない。
「チャルシュ・ネレデ?」(チャルシュはどこ?)
「ここをまっすぐ行け」
「Thank you」
トルコ語の「ありがとう」も知らない俺。早速、イスタンブールでテツさんに貰った地球の歩き方を開いてみる。「ありがとう=テシェッキュレデリム」か。
「テシェキュレリム!」
言えていない俺。でも、おじいちゃんはにっこり微笑んでくれた。

 朝焼けに輝くサフランボルの町を写真に収めながら、長い坂を下る。歩くこと3、40分、やっと旧市街の中心と思われるハマムに到着した。ここに来ても人の姿は無し。目指す宿「BASTONCU PANSIYON」がどこにあるのか、地球の歩き方の地図を見てもはっきりしない。目の前にある建物が、旧市街の中心地であるハマムであるのかどうかもはっきりしない。しょうがない。タバコでも吸いながら、住人が通りかかるのを待つことにした。

 「メルハバ!」(こんにちは!)
ハマム(多分)前に座り込んで20分、初めての人通りに興奮する。
「BASTONCU PANSIYON、ネレデ?」
「@.@;.@;:[::-^-…」
「テシェキュリム!」(ありかとうお)-ありがとうのつもり
おじいちゃん、場所を知らないらしい。また座り込んでみる。
「メルハバ!」
10分後、40代くらいと思われるおっちゃんが通りかかる。こいつなら知っているだろう。
「BASTONCU PANSIYON、ネレデ?」
「そこの道を行って、こう行け」
おっちゃんは綺麗な英語で教えてくれた。バスを降りて2時間が過ぎた午前8時、やっと目指すペンションに到着した。

 その後、チェックインを終え、ひとまず就寝。

 15時、起床。カメラ片手に散策に出かけた。ここサフランボルの町は切り立った谷の合間にあり、旧市街の四方は数十メートルの高さはあろう崖が立ちはだかっている。それら崖の中腹、ならびに頂上には植物が茂ることも無く、茶、白、肌色といった地層が横じまになっているだけという殺風景さ加減だ。どこかアメリカの西部を思い起こさせるような、この茶色の世界。そんな環境の中に、土壁に木の窓枠が並んだ、かわいい独特の木造家屋が並んでいる。14世紀から17世紀にかけて栄えたオスマン朝時代の匂いが残る古い街並みなのだそうだ。近くの丘に登ったり、家屋の細部を見学した後、宿に戻り、夕食を取った。

 21時、この宿のオーナーが敬虔なモスリムとのことで、今夜は酒を飲まないことに決める。というか、近くに酒が売っているような商店も無いと思われるため、禁酒。酒が無ければ無いで、何も問題なし。暇なので、旧市街の中心にある、建設から4、500年は経っていると思われるハマムに行ってみた。ところで、ハマムとは、アカすりやマッサージを受けることのできるサウナのことで、日本の銭湯のようなものと思って間違いない(と思う)。イスラムの教えでも「清潔は信仰の半分」と明記されているらしく(地球の歩き方より)、敬虔なモスリムは足繁く通うとのことだ。日本でトルコ風呂というとソープランドなどの風俗系が思い出されるが、本場のハマム(トルコ風呂?)は、健全そのもの。全く日本人はひどいね。さて、建物内に入ってみたものの、全く仕組みが分からない。うろうろしていると、ハマムの管理人と思われるおじちゃんがやってきて、手順を教えてくれた。個室で着替え、腰巻のようなタオルを巻いた後、中に入れとのこと。言われたとおりに、素っ裸になり、手渡された腰巻を巻き、ハマム内に入った。ハマム内部は、まさにモスクのような感じ。天井はドーム型、床は大理石で埋め尽くされ、この空間の真中に寝そべっていると、信心を感じてしまう。サウナに入ったり、ハマム中央の大理石に寝そべったり、30分くらいだらだらしていた。そして、頃合いを見計らって、トルコでケセジと呼ばれるアカすり師に日本語で声をかけてみた。「おーい、おっちゃーん!」。俺が声をかけたこのケセジ、常に笑顔で感じが良かったため、俺はこいつに声をかけてみたのだ。しかし、彼の真後ろから話し掛けているにも関わらず、彼からの反応が無い。何故だ?周囲のトルコ人(お客)が、俺に身振りで教えてくれた。「彼は耳が聞こえないよ」って。そこで、トントン、ケセジの肩をたたいてみた。やっと彼が反応してくれた。俺はトルコ語がわからない。だから彼の耳が聞こえようが聞こえまいが、俺にとっては何も関係無し。むしろ俺にとってはラッキーかもしれない。互いに口で話すことが出来ない。こんなときは、身振りがより通じる。なぜって?俺が思うに、彼は耳が聞こえない、つまり、毎日耳が聞こえる人々と身振り手振りで会話しているわけだから、身振り手振りに慣れていない者よりも身振り手振りを理解する能力が高い。俺としては、彼は耳の聞こえる人々相手に、彼らが分かりやすいような身振り手振りを普段から使い慣れているだろうから、それっていうのは俺にも分かりやすいのだろうな。そんな風に考えた。早速、「マッサージはいらない(他のトルコ人がやっているのを見ていたのだけれども、とても痛そうだったから)。アカすりだけやってくれ」を身振りで示す。思ったとおり、一発で通じた。やった通じた通じたって、双方共に笑顔。おっちゃんのアカすり、15分に及んだ。ボロボロっとアカが出て、一皮向けた感じでとても気持ちよかった。アカすりのあと、「スゲー良かった!」を手振り(トルコには、very goodを示す独特の手振りがあるのだ。5本の指先全てをつける)で説明。再度、双方笑顔。アカが落ちた以上に、このおっちゃんの笑顔がすげー良くて、気分良くなった。行ってよかった、ハマム。そうそう、ハマムで気づいたのだけれども、トルコ人男性は普段から腋毛ケアに余念が無いみたい。皆綺麗にそっているのだ。陰毛もそっているって話だし。でもヒゲと胸毛はボーボーなんだよね。なぜだ?わからない。

 さて、最後に「ありがとう!」をこの場で申し上げます。
<Tree of Lifeで以下の「地球の歩き方」を頂きました>
地球の歩き方「イスタンブールとトルコの大地 2002-2003版」 テツさん、ありがとう
地球の歩き方「インド 2002-2003版」 やぎちゃん、ありがとう
しっかり活用させていただきます。私が使い終わったときには、日本人宿か他の旅行者に寄贈する予定です。本当にありがとうございました。


- 本日の出費 -

レート : 1TL(トルコ・リラ)=\0.00007
1,700,000TL=1US$

- 移動費 -

From: To:
サフランボル・クランキョイ サフランボル・チャルシュ 徒歩 - 3kmくらい
 

- 飲食費 -

アイラン-しょっぱすっぱい飲むヨーグルト 500,000TL
イシュケンベ・チョルバス-羊の胃を煮込んだスープ (夜食) 1,500,000TL
 

- 雑費 -

L&M LIGHTS (たばこ) 1,500,000TL
宿代 (朝食、夕食込み) 17,500,000TL
ハマム代 (アカすり) 7,500,000TL

更新地 : SAFRANBOLU ( TURKEY )

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