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旅日記


2003年04月01日(火)
ギョレメ
晴れ
- カッパドキア探検 -


 メルハバ!

 昨日(3月31日)の午前6時、ギョレメのオトガル(バスターミナルのこと)に到着しました。3月30日の昼頃にサフランボル発アンカラ(トルコの首都)行きのバスに乗り込み、当日の16時頃アンカラに到着しました。アンカラのオトガルでは、深夜1時半発のギョレメ行きバスを予約し、サフランボルから一緒に移動してきた上園くんと共に、アンカライという地下鉄で中心地へと繰り出しました。

 ところで話は飛びますが、バスがアンカラの郊外を走っていたとき、窓の外を眺めていて気づいたことがありました。というのも、建築中のまま放棄されたと思われるマンションが非常に多かったのです。その数は、私が見たところだけでも数十棟に上ると思われました。コンクリートの枠組みから鉄骨が方々へと剥き出しになり、それら鉄骨は赤茶色に変色し、木が一本も立っていない荒涼とした大地に取り残されたそれらの建築物を見ていると、何か人類が終焉を迎え、その先の世界を見るような、そんな感じがしました。建設会社が倒産したのか、はたまた違う理由なのか、その理由は定かでありません。また、町の広がり方と言った部分でも気づいたことがありました。一般的に、町は中心地から郊外へと連続的に、あたかも湖面に石を投げ入れたときのような形で広がっていきますが、ここでは違っていました。アンカラの中心地があって、その外側に荒涼とした、用途の無い空き地のような瓦礫の大地が数キロと続き、その外側に高層マンションが並んでいます。途中の空き地に何らかの意味があるのか、そこが建物を構築するのに不適当な場所なのか、これもまた理由はわかりません。また、それらマンションの近くには商店やスーパーマーケットも無ければ、駅があるわけでもなく、また人通りも全く無く、全く人間の生活臭が感じられないのです。

 さて、アンカラの中心地の話に戻ります。中心地はやはり都会でした。ビルが立ち並び、その前を人々が足早に歩き、いかにも首都といった感じの趣でした。人々の服装を見ても、イスタンブールのそれとは明らかに異なりました。こちらのほうが小奇麗で、鮮麗されているといった感じです。イスタンブールは生活臭溢れる町、アンカラは生活臭のしない町。アンカラの方々を周っていない現在の私にとっては、そんなふうに色分けできました。特にすることも無いので、上園君と二人、飲み屋街へと足を伸ばし、値段の安い飲み屋に入り、ジョッキを3杯ほど空け、再度アンカライに乗って、オトガルへと戻りました。その後オトガルのロカンタ(食堂のこと)で、好物のイシュケンベ(羊の胃を煮込んだスープ)とナスとひき肉の炒め物、さらにパンを腹いっぱい食って、バスの発車時間を待ちました。アンカラのオトガルからギョレメまでは4時間半程度の移動となりました。バスに乗りこみ、世話係(トルコの長距離バスには、運転手のほかに世話係が必ず乗っている。男性のこともあれば、女性のこともある。コーヒー配ったり、お菓子配ったりと大忙し。飛行機でいうフライトアテンダントのような感じ)にコロンヤ(レモンベースのコロン。トルコでは、バスの中、食堂等、いたるところで客にコロンヤが振舞われる)を貰い、水、コーラ、コーヒー、お菓子でさらに腹を膨らませ、就寝…。しようかとおもったら、後ろの席の若者が到着までうるさく、一睡も出来ず…。

 やっと、話がギョレメ到着まで進みました。ここギョレメは、カッパドキア地方という奇岩で有名な観光地帯の中にある、人口が1万人にも達しない小さな村です。午前7時、イスタンブール滞在中に知り合いから薦められていた「Dream Cave Pension」という宿にチェックインしました。チェックインの後、シャワーを浴びて、寝ようかどうか迷いました。だって、昨晩はバスの中で一睡もできなかったし…、とっても眠かったのです。ですが、サフランボルからここまでの移動を共にした上園君に誘われて、カッパドキア地方南部を周るツアーに参加しました。午前9時半、旅行会社のミニバスに乗ってツアーに出発しました。同行者は、上園君、そして同じ宿に滞在していた日本人カップル、さらにアメリカ人男性が1人、アメリカ人女性が1人、韓国人女性が2人でした。最初に向かった先は、ウチヒサルという村の丘でした。ここから見るカッパドキアの風景は、まさに絶景でした。きのこのような形をした岩、とがった岩、岩肌のグラデーションと、見渡す限りに奇妙な景色が広がっていました。そもそもこの岩群は、数億年に起きた火山の噴火によって造られたとのこと。火山灰と溶岩が何層にも積み重なり、それが風雨によって侵食が進み、固い部分のみが残されて、このような形になったとのこと(写真はアルバムのページ参照)。とがった岩々には、4世紀頃?にキリスト教の修道士?達が住んでいたといわれる洞窟の穴があいていました(ごめん。英語の解説だったので、正確に理解できていない)。次に向かった先は、デリンクユという村にある地下都市でした。これはすごかった。本当にかなりすごかった。ココは訪問する価値アリです。洞穴のような入り口から中に入ると、地下14階、深さにして数十メートルのところまで部屋があるとのこと。8階までしか見学できないため、その下の様子はわかりませんが、8階まで見学できただけでも十分。地下1階は食堂(だったか?)、地下2階はリビング、地下3階は寝室…といった具合に、階によって部屋のつくりが異なっていました。その下には教会や学校等がありました。ここは、ガイド無しだと少しつらいかもしれません。というのも、1つの階に1部屋というわけではなく、1つの階に数部屋から数十部屋ある模様です。暗闇の中を、部屋をつなぐ通路が迷路のように通っています。また、いたるところにベンチレーター(空気入れ替え用)の穴が空いていて、下手をすると、本当に数十メートル下まで落ちてしまいます。生きて返れません。さらに、ガイド無しだと、部屋の用途とかが全く持って不明で、あまり楽しめないことでしょう。さて、この地下都市、紀元前400年頃の記録にも記されているとのこと。一体、誰が何のためにこんなものを造ったのか…、未だ、解明されていないそうです。また、都市内に教会があることからもわかるように、この地下都市には、アラブ人から迫害を受けたキリスト教徒が一時住んでいたとのことです。最盛期には、なんと4万人が、この1つの地下都市に住んでいたとのこと。この近辺には、カイマクルの地下都市、マズキョイ、オズコナックといった地下都市があり、それらは地下通路によってつながれているようです。信じられますか?それぞれの地下都市には数万人の人々が暮らしていて、互いに数キロも離れているそれらの都市が地下通路によってつながれていて、その通路を大勢の人々が行き来していたのです。核戦争が起きて、人類が地下に住んで…、これって未来の都市の姿なのかも、そんなことを想ってしまいました。地下都市見学を終え、次に向かった先はウフララ渓谷でした。3時間くらいかけての渓谷トレッキング。100m以上ある崖には、数千もの洞穴住居と100以上の洞穴教会があるとのことです。この渓谷での1番の見所は、アーチ・アルトゥと呼ばれる教会でした。4世紀頃に描かれたと思われるキリストの壁画は、完全なオリジナルとのこと。剥がれ落ちている部分も多いですが、様々な自然顔料を用いて描かれたと思われるカラフルな壁画は、なかなか興味深いものでした。その後、スターウォーズの撮影に使われたという奇岩が連なる丘を訪ね、最後には、お決まりの、みやげ物屋訪問。もちろん何も買わず、お茶と地元産ワインをごちそうになってきました。そして最後に、このツアーについて。ツアーの値段は22ドルでした。私は宿泊している宿経由で申し込みました。直接旅行会社を訪ねたアメリカ人は35ドル払っていましたので、宿とかを通して参加したほうが、お得なようです。ツアーもなかなか良いものだね。

 ツアー終了後、仲良くなった韓国人2人&アメリカ人1人の宿に、ビール持参で遊びに行きました。そこの宿の主人に「夕食をうちの宿で食っていかないか?」なんて誘われて、主人自慢のディナー(煮込み料理、パン、サラダ)を食しました。ディナーが終わって、飲み会をして、そろそろ自分の宿に戻ろうといった時間になって、主人から夕食代6ドルを請求されました。「えー、サービスなんじゃないんかい」。それまで楽しく会話を交わしていた俺と主人でしたが、俺は、彼のビジネス根性が見えて、突然がっかり。そういうのって、最初に言うべきでしょう。「有料だけれども、食べていくか?」ってさ。はぁ、何だよ、がっかりだよ。この国では、レストランで3ドルも出せば、それなりに豪華でおいしい夕食が食べられます。なのに、6ドルって、まぁ。しょうがないか。しっかり食っちまった後ということもあり、特に文句も言わず、6ドル払って、自分の宿に戻ってきました。そんでもって、すぐに就寝。

 ふぅ、やっと今日の日記を書くことが出来ます。簡単に行きます。今日は13時起床。シャワーを浴びた後、市場に出向いて、スープベース、トマト3個、パン1本、卵2個と石鹸を購入。宿に戻り、キッチンを借りて卵トマトスープを作り、これを朝昼兼の食事としました。その後PTT(郵便局)に両替に行き、ついでにギョレメ屋外博物館まで散策に出かけました。しかし、ギョレメ屋外博物館は入場料が高すぎて、入場を控えました(12,000,000TL-約US7ドル)。帰宅後ビールを飲みながら、だらっとしたあと、日記を書いています。現時刻はAM1時55分。シャワー浴びて、もう少し飲んで、3時くらいには寝る予定です。朝は10時くらいに起床予定。12時くらいのバスでアンカラに戻る予定です。そしてその後はオーストリアに飛びます。我ながら変なルート…。

 そうそう、今のトルコ、特にここカッパドキアを含め、東部は観光客が非常に少ないです。ここギョレメも街中に観光客の姿は全く無し。きっと戦争の影響でしょうね。トルコはイラクの隣国だからね。でもね、安全だよ。人々の暮らしも変わりないしね。少し不謹慎な言い方かもしれないけれども、旅行するには良い時期かもしれません。ホテルにしても、ツアーにしても、買手市場ってやつです。皆、旅行に出かけよう!なんじゃそりゃ。

 明日も良い日でありますように。おやすみ。


- 本日の出費 -

レート : 1TL(トルコ・リラ)=\0.00007
1,700,000TL=1US$

- 移動費 -

From: To:
サフランボル・チャルシュ サフランボル・クランキョイ 市営バス 500,000TL
サフランボル・クランキョイ アンカラ GUEN社 10,000,000TL
アンカラ ギョレメ NEVTUR社 15,000,000TL
 

- 飲食費 -

宿の料理 (昨日の朝食) 2,500,000TL
知り合いの宿の料理 (昨日の夕食) 6US$
ビール * 9 (昨日の昼&夕食) 12,000,000TL
スープベース (本日の朝&昼食) 600,000TL
トマト * 3 (本日の朝&昼食) 400,000TL
パン * 1 (本日の朝&昼食) 200,000TL
卵 * 2 (本日の朝&昼食) 300,000TL
ポテチ * 1 (本日の夕食) 1,800,000TL
ビール * 3 (本日の夕食) 3,600,000TL
 

- 雑費 -

L&M LIGHTS (たばこ) 1,500,000TL
宿代 5US$
ツアー参加料金 (NESE TUOR 社) - 注) トルコ語ではTOURじゃないのだよ 22US$
石鹸 800,000TL

更新地 : GOREME ( TURKEY )

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