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旅日記


2003年04月04日(金)
アンカラ
雨のち晴れ
- 侮り難しアンカラ -


 こんにちは。今日も元気です。

 今朝は10時に起床。一昨日、「2泊泊まるね!」と宿のオーナーに宣言していたこともあり、今日、このホテルをチェックアウトするか、このホテルにもう3泊するか(4月7日に飛行機でオーストリアに行くからさ)を決定しなければなりませんでした。チェックアウトの時間は昼の12時。そんなこともあって、今日は珍しく朝10時という早い時間に起床したのでした。昨日までの日記にも書いたように、「HOTEL SAYILGAN」は、俺にとっては濃すぎるのです。オーナーが毎朝「Japon!」なんて言いながら俺の部屋のドアをノックし、つまり俺を起こしにくるし…、隣の部屋の奴が、「Japon!入っていいか?」なんて毎晩のように遊びにくるし…。今から30分ほど前なんて、ホテルの副オーナーが、「酒を飲ませてくれないか」なんて言って、俺の部屋を訪ねてくるし…。というのも、彼はこの辺りでは厳格なイスラム教徒ということで通っているらしく、自分ではビールを買いに行くことができないそうな(身振り、手振りでなんとなく理解した)。しかしながら、ビールは美味しいから好きとのこと。つまり、皆に知られないように、こっそり飲んでいるわけだ(でもアッラーは知っているのだ…)。60歳くらいのおじちゃんなんだけれども、可愛らしいや。そういうわけで、朝10時、「朝飯を食いに言ってくる!」と嘘をついて(「別のホテルに移る」なんていうと、感じが悪いでしょう)、「地球の歩き方 イスタンブールとトルコの大地 2002年〜2003年版」に掲載されていた「フェラフ・ホテル」の値段と部屋をチェックするため、とりあえず荷物を部屋に置いたまま、ホテルを出ました。

 朝10時半。外は曇り空でしたが、気温は15度程度と、快適。ホテルを出て、アタテュルク像(ウルス駅の近くにあるトルコの英雄、アタテュルクの銅像)を通り過ぎ、アタテュルク通りを南に進むこと約20分。「地球の歩き方」の地図によると、探しているホテルはこの辺りのはずです。10分ほど、周囲をウロウロしてみます。しかし、ホテルは見つかりません。こんなときは近くのおっちゃんに聞いてみるに限ります。
「メルハバ!おっちゃん、おっちゃん、フェラフ・オテル、ネレデ?」(最近は、ばりばり日本語を使っているのだ。どうせ英語も通じないしって理由から)
「`{*{`~??><<++P…」
全く理解不能です。何せトルコ語ですから。おっちゃんが、近くにいた、英語が出来そうな青年を呼びました。
「Hello」お兄ちゃんが英語で話し掛けてきました
「Hi, Im looking for the Ferah Hotel reight now. Do you know where it is?」
「mm...」
お兄ちゃんは、ホテルの場所を知らないようです。お兄ちゃんが、少し離れたところにいたおじいちゃんに尋ねました。おじいちゃんも首を振りました。そんなこんなで、数十秒後には、俺の周囲に10人以上のトルコ人男性が集まりました。あわわ…、なんか"おおごと"になってきました。皆が、お兄ちゃんに向かって、様々な言葉を投げかけます。数分後、皆の意見が一致しました。
「そのホテル、今はないよ。どうやら潰れたみたい」
こんなの人が集まってくるなんて、しかもこどもでなく、いい年こいたおっちゃん達が集まってくるなんて、ここは発展途上国の田舎のようだ。単に人が良いのか、外国人がそんなに物珍しいのか、ここはトルコの首都なのに…。
「Turkysh dream!」(「ありがとう」のつもり)
テシェッキュレデリム(ありがとう)がなかなか覚えられないので、「何か良い方法はないかいな?」と尋ねたら、英語の分かるトルコ人が、こう教えてくれた。ターキッシュドリームと覚えておけばいいよと。テシェッキュレデリムと発音が似ているから、皆わかってくれるよ…
皆にありがとうを言って、その場を後にしました。

 ホテル探索から戻り、「HOTEL SAYILGAN」に到着すると、時刻は11時半でした。フロントで、係りのおっちゃんに声をかけました。
「おっちゃん、ユチ、ギュン、カラジャウム」(おっちゃん、3泊します!)
「それで、今日まで俺は1泊12ミリオンで泊まっていたから、今日からは10ミリオンにしてよ。俺5泊もしているんだよ。このホテルに…」
これにて交渉成立。3泊分の30ミリオンを支払い、フロントを後にしようとしたとき、ホテルのオーナーが声をかけてきました。
「ジャポン、この人と話せ」
オーナーの後ろには、年齢7、80歳ほどのおじいちゃんが立っていました。おじいちゃんに向かって挨拶します。
「メルハバ」
オーナーが続けました。
「この人は、イスラム教のえらい人なんだ。アッラー」
そしてオーナーは、おじいちゃんに向かって、俺についての説明を始めました。
「こいつはジャポンでツーリストです。しかし毎晩ビラを飲んでいる、駄目な奴なのです」
すると、おじいちゃんが私の目の前に来て、握手を求めてきました。握手して、キスをして、手を自分の胸に当てて…、私の知りうる限りのイスラム正式ご挨拶で応じました。
再び、オーナーが口をはさみます。
「この人が他宗教の人間にキスまでしてくれるなんて、喜べ!おまえは幸運だぞ!アッラー」
このおじいちゃん、服装はイスラムの正装、頭にはイスラムの帽子をかぶっていました。仏教でいうお坊さん、キリスト教でいう牧師といった感じのいでたちでした。また、彼は綺麗な英語を話しました。
「日本からということは、あなたは仏教徒でしょう。お酒を飲んでも何も問題ありません」
私は答えました。
「ありがとうございます。おっしゃる通り、私は仏教徒です。だからお酒も飲むのですが、かといってココはイスラムの国です。だから、私が酒を飲むことで、オーナーが悲しむのも分かります。ただ、この旅行を通してイスラム教のことも勉強していますし、これからも勉強したいと思います」
おじいちゃんが返します。
「私はキリスト教や仏教のことも勉強しましたし、日本の神道のことも知っています。私どもはアッラーの下で生活していますが、あなた方もブッダの下で暮らしています。これは同じことです」
おぉ、コレが真の宗教家だ。他宗教の存在も認め、尊敬してくれる。全ての人間がこういった意識を持っていたならば、少なからず、宗教がらみの殺し合いはこの世から減るはずです。おじいちゃんと5分ほどの会話を交わした後、昨日まで住んでいたツインルームに戻りました。何かとても楽しい気分です。

 さて、部屋で1時間ほどだらだらした後、ここアンカラに着いてから初めての観光に出かけました。訪ねた先は、「アヌトゥカビル」でした。ここは、トルコ建国の父と呼ばれるムスタファ・ケマル・アタテュルクという人が眠る霊廟です。この人物が、この国において本当に偉大な存在であるという事実は、外国人の私にとっても、すぐに判断することが出来ました。というのも、トルコの全ての硬貨、紙幣には彼の表情が掘り、刷り込まれていますし、トルコ国内各地で、この人に関する博物館などを見つけることが出来ます。また、このアタテュルクという人、無くなってから数十年が経過した現在でも、トルコ国民から大変愛されているらしく、私がホテルを出る際、「アヌトゥカビルに行ってきます」と言うと、ホテルのスタッフ、宿泊客が大変喜んでくれました。ところで、この霊廟は1944年から1953にかけて造られたそうです。実際に訪ねてみて、その巨大さに驚愕。個人の霊廟としては、世界最大とか、そういったレベルのものだと思われます。たとえば、日本でこれほどまでに全国民から愛される存在、そんな人物は知りえないですし、首都の一等地にこういった規模の施設を造る事は、東京では不可能でしょう。この霊廟、実は2Km四方程度の公園の中にあります。この公園の中に、霊廟、彼に関する博物館等が点在しています。博物館には各国の大統領や皇室から贈られた品などが展示されていました。その中には、日本の皇族が贈った刀や日本の皇族が彼を訪ねた際の写真などもありました。写真ブースの一角には、彼と親交のあった人々の写真が飾られていたのですが、昭和天皇の写真がアメリカ大統領や他国の皇族の写真を差し置いて、一番上に飾られていました。うーん、本当にトルコ人は日本びいきなんです。ところで、以前の日記にも書いたかもしれませんが、ここアンカラには、全くといってよいほど外国人観光客の姿がありません。アンカラ一の見所である、ここアヌトゥカビルにも外国人の姿は全く無し。ただ、観光客は沢山いて、修学旅行中?と思われるトルコ人小学生、トルコ人の団体客が大挙して押し寄せていました。彼らの姿を見ても、このアタテュルクという人物が、どれほど国民からの尊敬を受けているか、そんなことを推し測ることができました。

 アヌトゥカビルを出てからは、ウルス駅近くまで戻り、スーパーに行ってみたり、電気屋を訪ねてみたり、市場を歩いてみたり…、アンカラ庶民の生活を覗き見しました。中でも電気屋には私の興味をくすぐるものが沢山ありました。SQNYのウォークマン、SANNY(ロゴはサンヨーっぽい)のTV、CASIQの時計…。CASIQの時計なんかは、マレーシアなどの工場から部品が流出しているらしいです。というのも、マレーシア製のそれらの時計を隣のショーケースに入っているCASIOの時計と見比べてみると、外側の部品は全て同じ、液晶表示を細かな部分まで調べても、それも同じ。しかも性能にも違いはなさそうなのです。それでいて、CASIOはCASIQの4倍の値段。どっちを買う?もちろんCASIQでしょう。また、SONYのヘッドホンが500BIN(40円くらい)で売っているのです。SONYのロゴは本物と全く同じ。ヘッドホンに小さく刻み込まれている型番なんかも、MD-813なんて書いてあって、とっても本物らしい。でも、本物ならこの値段で売れるわけがない…。SONYの工場から流出しているのか、はたまたアジアのどこかの国でどこかでコピー商品として製造されているのか…。

 町歩きを終えたあと、1度ホテルに戻り、今度はインターネットカフェ探しに出かけました。1時間くらいかけて探したのに、見つけられたネット屋は1軒だけでした。早速、自分のパソコンをつなげさせてもらって、インターネットを開始しました。しかし…遅い、遅すぎるのです。Yahoo Japanのトップページを開き終わるまでに3分以上。Hotmailは5分以上かかってもログインできませんでした。何も出来ないまま30分が経過。750BIN(50円)を払って、その場所を後にしました。このネットカフェ、何も出来なくて頭にきたかというと、実は違って、とっても笑えたのです。私以外の客も当然のように接続スピードがすごく遅いわけで…、ある客は、お目当てのページを開いて、そのページが開ききるまでの3分間に読書したり、また、ある客はチェスしたりと、なんじゃこりゃって感じ。こんなネットカフェ見たことないよ。そうそう、このネット屋は、そもそも無茶しすぎなんです。ダイヤルアップ(電話回線を使った接続方法のこと。56Kくらいのスピード)を10人くらいで共有しているのだもの。遅いに決まってるさ。ADSLとかないのかよ!

 ネットカフェからホテルまで帰る道すがら「JAPON PAZARI」(日本バザールって感じか?)というかなりの規模のお店を見つけました。何が売られているのか分からないが、もしかしたらカップラーメンでも買えるかもしれない。そんな感じで、ふらりと店内に入りました。店内に入ってみると、ガーン、想像していたものとは全く違っていました。店内は、SQNYのオーディオ製品や中国製、韓国製電化製品のオンパレード。またなぜかトルコ製の靴やバッグ、化粧品やアクセサリーなんかも売っています。日本製なんか一つも無かったような気がします。なぜJAPONなんだ…。皆SQNYをMADE IN JAPANだと思って買っているのか?やめてくれ…。でもね、しっかりとお買い物はしてきました。購入した品はパソコン用の電源ケーブルとヘッドフォン用の二股ジャックです。特に、電源ケーブルは海外旅行始めてからずっと欲しかった品でした。ケーブルって言っても、ただのケーブル(電気コード)ではありません。中米やヨーロッパ、インド、東南アジア各国に良くあるタイプのコンセントにしっかりとはまる形のものです。説明するのが面倒くさいので、割愛します。そのうちアルバムにでも載せますので、それを見てください。値段は2品で2ミリオン(2,000,000)トルコリラ。安い、安すぎる。日本円にすると140円くらいです。電源ケーブルとか日本で買うと2,000円くらいするのではないかなぁ。

 アンカラの町、しっかりと整備された薄っぺらな新興都市みたいな印象を持っていましたが、下町の雰囲気、パチ物三昧、外国人慣れしていない人々、探せば探すほど新しい発見があるこの町。意外と深いぞこの町は。楽しくなってきました。


- 本日の出費 -

レート : 1TL(トルコ・リラ)=\0.00007
1,700,000TL=1US$

- 移動費 -

From: To:
 

- 飲食費 -

スープとマッシュルームの煮込みとピラフとヨーグルトとパン (朝&昼食) 1,750,000TL
イシュケンベ (夕食) - 羊の胃煮込みスープのインスタント版 450,000TL
トルコパン (夕食) - フランスパンのような形のでかいコッペパン 200,000TL
ビール * 4 (夜食) 3,600,000TL
ひまわりの種 (夜食) - 昨日の残り物 -
 

- 雑費 -

L&M LIGHTS (たばこ) 1,500,000TL
宿代 11,850,000TL
電源ケーブル 1,500,000TL
二股ヘッドフォンジャック 600,000TL

更新地 : ANKARA ( TURKEY )

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