旅日記


2001年6月15日
ホア・ヒン
晴れ

-ハラホロヒレ〜♪-

ホア・ヒンのストリートミュージシャンと歌う。左端がミュージシャンで、その隣が俺。右二人は、どこからともなくやってきたタイ人。
こんなことなら、ピアニカ持って来るんだった。


 起床後、洗濯、読書などをして、夕方まで過ごす。今日は、快眠・快便のせいか、なぜか妙に気分が良い。陽が落ちてまもなく、無性にハラが減ってきた。たまには、豪華に食ってみるか。

 ゲストハウス近くの食堂に入り、壁のメニューを見る。タイ語ばかりで、何が書いてあるのか、全くわからない。とりあえず、ビールを頼み、現地人が食べているものをチェックする。すると、ほとんどの人が、鍋物を食べている。こんなくそ暑い中、汗もかかずに、数人で鍋を囲んでいる。指を刺しながら、店主に聞いてみた。
「アライクラップ」
「Su-ki-ya-ki!」
あぁ、あれがタイすき(タイ風すき焼き)というやつか。俺も食ってみようということで頼んでみる。しかし、店主は良い顔をしない。何をいっているのか理解できないが、どうやら、一人で食うものではないらしい。しょうがなく、シーフードといって「えび」のまねをしてみた。5分後、エビチリのようなものが出てきた。食ってみると、すごくうまい。酒とエビチリ、ライスで計150バーツ。ちょっと、使いすぎだが、今日は一食だからいいや。

 食堂からゲストハウスまでの道すがら、ビールを一本買い、飲みながら歩く。まるで、アル中のような俺。しばらく歩くと、ギターを抱えたおっちゃんが、道路脇に座っていた。
「おー、ストリートミュージシャンだ!」
タイでは、初めてお目にかかった。何も弾いていないようなので、一度は通り過ぎる。けど、気になってしょうがない。「いいや、一曲やるまで、ちょっと見ていくか」。おっちゃんの所まで戻って、「ここ座って良い」と身振りで聞いてみる。どうやら、「OK」みたいだ。座って20分ほど経ったであろうか。おっちゃんは、未だ持って曲を演奏しない。20分あまり、ずっとチューニングにふけっている。ビールもなくなったので、買い足しに行く。戻ってくると、おっちゃん笑いながら、俺にギターをよこす。「俺、コードしかできないし、楽譜とかないと、何もできないよ。」そんなふうに言ってみたが、通じていない様子。「俺、ピアノだったら○、でも、ギターは×」と、手振りでやってみる。分かっているのかいないのか、おじちゃんはギターを自分の手に戻すと、またもやチューニングをはじめた。「なんか、歌うの?」と聞いてみても通じていない。まぁ、いい。俺も暇だから、気長に待とう。

 おっちゃんの横に座り込んでから1時間くらいがたったときか。おっちゃんは、まだ納得いかないチューニングのギターを持って、弱々しい声で歌い始めた。どうやら、タイの歌のようだ。「More than words」だったかな?、あの歌とコード進行は酷似している。が、タイ語でわけがわからない。おっちゃん、歌い終わると、また同じ歌を歌いだした。3回くらい繰り返されると、俺もフレーズの大方を覚えてしまった。一緒に歌ってみる。実に気持ちいい。ビールを飲み、歌い、それの繰り返し。2、3回、同じ歌を歌ったころか。1人、また1人と、2人のタイ人が集まってきた。おっちゃんとは仲間というわけではなく、ただ見ているだけ。そんな感じだった。それから30分後、なんと、4人で大合唱(少し、大げさ)することになってしまった。西洋人の観光客に見られまくりで、こっぱずかしかった〜。

 英語のできるタイ人に、「また明日も来るね」を通訳してもらい、おっちゃんと別れた。あー楽しかった。やっぱり、現地の人の中に入っていくと楽しいや。面白い奴とめぐり合った。ゲストハウスに向けて足を動かしながら、ある本に書いてあった「くだり」を思い出した。、「考えてみれば、人生の40年あまりの歳月の中で計り知れないほどの分岐点を通過したはずだ。右に行こうか、左に行こうか、初めはほんの些細な決断だったはずなのに、いつのまにか風景はすっかり違ったものになってしまう。めぐり合う人も異なってしまう。」

 日本を出て、まだ1月も経っていない。いろいろな分岐をしながらも、今回の旅行に出発した。違う選択をしていたら、こんなおっちゃんとも一生出会うことはなかったんだろう。明日はどこ行こうか、どこで飯食おうか、毎日が、Y(分岐)の連続だ。分岐をしながら、いったい俺はどこにいき、何にたどり着くんだろう。少ししんみりしながら、そんなことを考えた。

更新地:ホア・ヒン(タイ)

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