ニイハオ。
広州は、広東料理の一大中心地です。「食は広州に在り」、こんな言葉をよく耳にします。
私の場合、食にはあまり興味がありません。基本的に何でも美味しく食べられる人間ですし、ここ広州においても、普通の安食堂で食べる中華料理(中国だからあたりまえだけれども)は十分美味いと思います。ただ、仮にお金があれば、ここ広州の三大酒家と呼ばれる店で広東料理を満喫してみたいものです。特に、「食在広州」の看板がある広州酒家なんかでは、ぜひとも何かを食べてみたいんだけれども、一品300元くらいするそうな。俺が毎日食っている定食(4元か5元)が、60回以上食える額です。というわけで、食のことはおいといて。
昨日、ここ広州に来て、駅前広場を眺めていたときに、「この場所ほど中国の"今"を感じられる場所はないな」と考えました。そして、今日は昼過ぎから六榕寺(1,400年以上の歴史を持つ古刹だそうな。約1,000年前の宋の時代に造られた地上高57mの9重の塔から眺めた広州の風景は最高だった)観光に出かけ、戻ってきてからは、ずっと広州駅前広場をうろうろしていました。
駅前広場には本当に様々な人間がいて、見ていて全く飽きませんでした。少数民族の衣装を身に着けた物売り、おじいさんと孫2人グループのストリートミュージシャン(弦楽器と管楽器の組み合わせだった)、公安に髪をつかまれ引っ張られていく男、傍らで泣いている女…、そんな多くの人々の中でも、やはり私の目を引くのは、夢や職を求めて地方からこの地にやってくる人々なのでした。ぼろきれに赤子をくるみながら一家でここにやってきた家族、スポーツバックをしっかりと脇に抱えた10代と思われる男性、よれよれの服を身につけ麻袋を抱えた50代くらいの男性。皆が皆、職や夢を求めて、大都会"広州"を目指してやってきます。田舎に住む家族の期待を一身に背負ってこの地にやってきた人もいるでしょうし、そうでない人もいるでしょう。この中には、職が見つからず、不本意ながら田舎に帰る人もいるでしょう。一方、後々大成功を収める人もいることでしょう。
現在、午前3時です。私の部屋の窓からは、広州駅前広場が一望できるのですが、広場では、大きな荷物を抱えた数百、いや千人を超えるかもしれないといった人々が広場の一角で眠っています。彼らは、一泊のホテル代(30元=420円くらいからある)も惜しむ人々なのです。こうこうとネオンをともす高層ビルやら〜大酒店(高級ホテル)の前で千人あまりの人々が路上で寝ている…。こんな様子を目にすると、「なんだかなぁ」と感じてしまいます。皆、「夢」、「職」、「金」といったものを求めてここにやってくるのだろうけれども、それって結果的には幸せなことなのだろうか。田舎では、お金が無いなりにも、こどもも育てることができるし、食べようと思えばなんとでもなるような気がします。ただTVが欲しいとか、こどもに高等教育を受けさせようとか、そういうことを考えると、それらはお金無しでは到底達成できないことなんですが…。
中国華南の田舎に住む人々にとっては、「食は広州に在り」なんてことはどうでも良くて、もしかしたらその言葉は、「職は広州にあり」なんて言葉に変化していて、そんなのを耳にして、この町にやってきているのかなぁ。
「外国人=食在広州」
「中国人=職在広州」
こんな感じかな。明日(0時過ぎているから、今日か)、澳門(マカオ)に向かう予定なんで寝ます。おやすみ。
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