こんにちは。
朝9時起床。現在のホテル(台南市旅客服務中心)にもう一泊しようかと思いフロントを訪ねるも、「予約で一杯だ」ということで断られた。そう、ここは台南市運営の公共施設なのである。一銭も税金を払っていない俺のような外国人は、2泊できただけでもラッキーだと思わなければいけない。荷物を担いで宿を出るとき、なんとなくセンチメンタルな気分に陥った。ということで、なぜか「アディオス」という言葉を残して宿を後にした。ちなみに俺の穿いているスニーカーはアディダスだ。
今日か明日、台湾南部の大都市である高雄市に行かなければならない。そこに友人が待っているからだ。彼の名前はシュウ。台湾人でありながら、イギリスの中学校を卒業後、高校はカナダ、そして大学もカナダ…という何やらおかしな奴だ。それでもって、現在は大学を辞め、兵役に入るために高雄の実家に戻っている。彼とはカナダのトロントで出会い、数ヶ月間同じ家に住んだ。毎晩のように吐くまで飲み、どこかに遊びに出かけていた。カナダで一番多くの時間を共にしたのが彼だった。
宿の近くにバス停があった。そこから高雄まで直行できるのだが、それも面白くない。どこかに寄ってから高雄に向かおうと考えた。そういえば、この近くに「保安駅」という日本統治時代に造られた木造の小さな駅があるらしい。その駅は、貴重な建築遺産としてメインテナンスされながら、当時の姿をとどめているとのことだ。以前、小林よしのりさんの「台湾論」という本でそんな知識を得ていた。
宿から歩くこと30分、やっと台南駅に到着した。気温は30度くらいか。もう全身汗だくだった。窓口では適当な中国語で保安行きのチケットと、そして保安から高雄までのチケットを購入し、指定されたホームで列車を待った。程なく、列車がやってきた。日本では普通列車、そしてここでは通勤電車と呼ばれる、最もスピードの遅い車両だ。自動ドアが当然のように自動で開き、そして俺は乗り込んだ。そして驚いた。なんたることか、日本の田舎の普通列車などよりも、数段立派ではないか。エアコンが利き、車内の装備もモダンだったのである。やっぱり台湾はなかなかすごかったのだ。
通勤電車に乗り込んでから10分もすると、保安駅に到着した。実は、なんのことはない。台南駅の隣駅だったのだ。列車を降りると、線路越しに噂どおりの小さな駅舎があった。外壁が白く塗られたその様はなんともかわいらしい。「おーおー、これは日本スタイルだな。これこそ日式ってやつだ(台湾には、「日式***」がやたらとたくさんあるのだ。日式散髪、日式麺、日式弁富)」、興奮しながら、駅の外に出て、正面から見上げた。木造建築、瓦屋根、そしてその形。紛れも無く、日本の田舎に普通にあるローカル線の駅だった。駅の前にあった駅の歴史を語る木板に目をやった。そこからは、「精糖所之運搬需要…」、「中日合…営造法…」、「阿里山之佳質檜木」、「風格独特造型優雅」、「年代久遠…遭天然災害」といった文字が読み取れた。そしてこの駅の歴史がおぼろげながら理解できた。20分くらい、だらだらと駅を眺めていた。看板横では、10代後半と思しき台湾人の女の子が日本人の女の子がひと昔前にやっていたポーズ(なんかほっぺの横で手を広げるポーズ。まだやっているのか?)で記念写真を撮っていた。「なんじゃここは…」。思わず笑ってしまう。「なんなんだろうこの島は…」。天気も良く、何かウキウキした気分だったので、駅前のベンチでビールを飲むことにした。駅の傍らにある小さな商店で台湾ビールを買い、ベンチに腰を下ろした。そして一口目を口に運んだとき、不意に横から中国語で声をかけられた。「ウォーシーズーベンレン、チョンウェンティンブドン…(私は日本人です。中国語わかりません…)」と言葉を返すと、四十代と思われるその男性は、英語で更に話しを続けた。「そこの木陰で飲みましょう。私たちはこれからお茶の時間です」。男性に誘導されるまま、木陰に入った。そして私はビールを、彼は先ほど私が訪れた商店からお茶を持ってきて、奇妙なお茶会?が始まった。彼が高雄で経営している会社のこと、私がここへきた目的、そんなことを話しているうちに、今度は70歳くらいのおじいさんまで御茶持参で我々の飲み会に加わった。おじいさんは日本語が達者で、「ビールはおいしいですか?」、「台湾では本来中国語でピージョウと呼ばれるこの飲み物をビール(英語のBeerではなく、まさしく日本語のビールといった発音)と呼びます。日本語の名残ですね」、様々なことを日本語で語りかけてくる。「なんなんだ、ここは…」。
私が1本目のビールを飲み始めて1時間ほどが過ぎ、私は3本目のビールを飲んでいた。その頃には、なぜか先ほどの商店で店番をしていたおばちゃんやタクシー運転手のおっちゃんが加わり、ますます「なんじゃこりゃ」状態の飲み会となった。おばちゃんは商店の品をいくつも持参して、勝手に袋を開け、私に「食え食え」と勧める。なぜか俺はタクシー運転手のおっちゃんにビールをおごっている。「あなたはタクシー運転手です!、それ以上は駄目です」。俺が日本語で話す。おじいちゃんがそれを訳す。運転手が「メイウェンティー(問題ない)」を連呼する。
5本目のビール(多分)を飲んでいたときだった。私服姿の男性が、我々の近くに停車した小さなパトカーから出てきた。私が「運ちゃん(ちなみに台湾では運転手のことを「運ちゃん」と日本語で呼びます)のビールは大丈夫かいな」と心配している横で、男性は何やら笑顔でおじいちゃんと会話を始めた。そして、次いで私に日本語で話し掛けてきた。「こんにちは。私警察」。「はぁ」と困惑していると、おじいちゃんがすかさず言葉を発した。「かれも一緒に飲みたいそうです」。
「なんじゃそりゃ〜」。そしてその言葉はギャグでもなく、警察官は私の傍らで本当に飲み始めたのだった。しかも笑顔で。タバコを交換しあったり、商店のおばばが持ってくるフルーツを口にしたり、そんな間に、警察官は2本もビールを飲んだ。当然のごとく、私は警察官に尋ねた。「台湾、警察、ビール、車、メイウェンティ?」。「メイウェンティー、メイウェンティー」。そして15時くらいだったであろうか。警察官は職務に戻るらしく、敬礼して我々の前を去っていった。しかもここに来たときと変わりなくパトカーを運転して…。
「なんなんだ。この島は…」。程なく宴会もお開きとなり、私も高雄へと向かうことにした。皆の写真を撮り、握手をしてから駅のホームへと向かった。5分ほど待ち、そして列車が目に入ったときだった。さきほどの運ちゃんが、私のいる2番線へと階段を走り降りてきた。そして私に何かを手渡した。「あーもう乗らないと乗らないと…、シェシェ、シェシェ」。中身を確認する間もなく、私は通勤電車へと乗り込んだ。ホームに立つ運ちゃんに手を振った後、新聞紙にくるまれた中身を開いてみた。すると、中には台中名物だという「パフェとどらやきを合体させたようなお菓子が10個」と「紙切れ」が入っていた。紙切れには、何やら住所らしきものが書いてあった。「おいおい、住所だけで、名前も書いていないし、どういうことだ…?」。「手紙を送れということか?、はたまたここを訪れろということか?」
「あぁ、なんなんだ。この島は。何か皆おかしいぞ。昔の日本と今の日本が入り乱れ、何やら陽気な人々が住み、なんじゃこりゃー!」
あやー。落ちがない。ごめん。時間をください。おやすみ。
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