雑記 |
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トロントの身体障害者はアクティブです! | |
トロントに住み着いて1週間。この街で、体に障害を持った人を見かけない日はありません。車椅子に乗っている人、目の悪い人、耳の悪い人、様々な障害をもった人々が、毎日たくさん街に出ています。日本だと、車椅子に乗っている人と会うなんて、1週間に1回くらいでしょ。しかし、トロントでは見ない日はありません。今日だって、20〜30人くらいは見かけたかな? みんな、アクティブです。楽しそうに、笑顔でショッピングや、散歩をしています。 トロントに、障害を持った人が多いなんてことは決してないと思います。日本なんかと比べると、街に繰り出している人の割合が多いんですよね。きっと。 なんででしょう? 当たり前だけど、彼らを受け入れる環境が、ハード、ソフト共に整っているのでしょうね。具体的に言うと、とりあえず、2つ気づいた部分がありました。 <1点目>街自体が、障害者に配慮して設計されている ・いずれのトイレにも、車椅子用あり ・いずれの階段にも、横にスロープ併設 ・信号の押しボタンなんかも、低い位置&高い位置にあり ・いずれの歩道にも、点のマットあり(道路の上のでこぼこのこと) <2点目>障害者、健常者のそれぞれが、互いの扱いになれている? ・障害者は、「俺は、障害者だから…。すんません。手伝ってもらって…」みたいなところが無いように感じる ・健常者は、「障害者に対し、変な遠慮や行き過ぎた気遣いがない」ように感じる 障害者が、健常者に向かって、「おい、ちょっと手伝ってくれい!」なんて気軽に言って、健常者は、「よしきた!了解!」みたいな感じです。また、障害者を注視する人もいないし、かと言って、目をそむける人もいません。お互いが、ごくごく普通に付き合っているように感じます。障害者が、信号に間に合わなくて赤信号を渡ろうとすると、車を運転している人が、「ファック!」とか言って怒るし…。さらに、車椅子の彼も、車の法に向かってなんか文句言っているし(これにはびっくりした)。これが、日本となると、私も含め、お互いになんか遠慮して、意識して。お互いに、おっかなびっくりで接しているような気がします。 私は、「人と違う事って、すごく楽しい」と感じる人間です。それって、もしかしたら幼い頃の経験から来ているのかも。そんなことを思いました。私は、小学校、中学校と9年間、脳に障害がある子と2人で登下校していました。彼の名は仁(ひとし)くん。私の実家から、100mほど離れたところに住んでいます。年齢は私と同じ。仁は、すごいんです。歌なんてすぐに覚えちゃうし。また、突然、突拍子もないことを言いやがる。そんなところが、一緒にいると楽しくて…。大好きでした。最近会っていないけど、元気にしてるかなぁ。 現在も、友達から「どんな女の子が好き?」なんて聞かれると、こう答えます。 「よく、理解できない部分がある子。たとえば、デート中に、突然、歌をうたいだすような子」 好きになった子には、「常に、俺が理解できないそんな部分を大切にしてね」なんて思います。私にとって、これは尊敬できる部分であり、楽しいところなんです。 「おとたけさん」っているじゃないですか。ちょっとうらやましいです。俺なんて、なんの特徴もない人間です。彼なんて、車椅子に乗っていることがネタになります。かなり、うらやましいぞ!(ちなみに、五体不満足読みました)。そうそう、俺の身長は、165Cm。日本だと、笑いの種にならないけど、カナダだとちょっと使えます。「背は小っちゃ行けど、他はでかいかもよ!」なんてね。だって、カナダ人みんな背でかいんだもん。 トロントの公園では、障害者、健常者の枠を超えて、また、黒人、白人、黄色人等といった肌の色を超えて、そして動植物達が、みんな混ざり合って、互いを尊重して、たのしそうに過ごしています(一見してなんですかね。一週間しかいないんで、まだ分かりません)。こんなのって最高ですよね。 障害や人種だって、個性のひとつだと思います。いろんな個性を持った人間、動植物が、一定のルールの上で、自由に、互いの存在を尊重しあいながら、求める道を実現できる社会が実現されればいいななんて思います。 「あんたは、障害等を持っていないから、そんなことが言えるんだ!」 なんて思われるかもしれません。そうかもしれません。ですが、そう思うんですもの。しょうがないでしょ。 ちょっとトロントをほめすぎたかな? |
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