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2002年11月28日(木) カンクン - 起承転結について - |
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起承転結という言葉があります。本日、カンクンの町を歩いていて、でかでかと"起承転結"いう文字がプリントされたTシャツを着ているおっさんを見かけました。この言葉、漢詩を構成する際の方法として、中国から伝えられたものだと把握しています。間違っていたら、ごめんなさい。これって、人生に当てはめることができるかな? 宿にてビールビンを片手に、そんなことを考えました。 起承転結、酔っ払った勢いの続く数十分の中で考えた自分なりの解釈としては、起=生命の始まり、承=?、転=?、結=生命の終わり、こんな感じです。 まず、"起"に関してですが、人間としての生命の始まり、もしくは、自我の目覚め、一般的はこういった解釈ができるのではないかと思います。私としては、生命の始まりと捕らえたいと思います。 次に、"承"についてですが、これには、悩ませられました。承る。何を? 人間として生まれてきたこと、その事実を承知するということ? 自分の置かれた環境を承知すること? 人間としての自分の役割を承知すること? これは、非常に難しい。何かを承るからには、そこには変更不可能な絶対的な理由やら自分が納得できるだけの要素が存在するべきです。無論、しぶしぶ承知せざろうえない事柄も多々あるわけですが、その承知にいたるまでには、何らかの要素があって、妥協せざろうえない理由が存在して、しかしながら、承知するといった結論に至るわけです。"承"が"起"の次にくるべきものという制約があるこの題材の中で、私が捉えられる"承"の意味は、人間として生まれてきたことを承知すること、こんな風に結論付けることができました。なぜなら、上のいくつかの選択肢の中で、自分が納得できるものとしては、人間として生まれてきて、現在人間として生きている、これだけなのです。まぁ、これも怪しいのだけれども。いろんな理由で。 "転"についてですが、転がる…、転機、つまり、何かが変わるということなのでしょうか。何が変わるんだ? うーん、考えてみたのですが、分かりませんでした。この雑記の最後の方で、強引に結論付けることにしたいと思います。 "結"はもちろん、"結ぶ"でしょう。何と何を? 人と人? 自分と自分の子供? 現世と後世? いや、これは結びということなのか? 物事の結び、人生の結び=人間としての生命の終わり="死"ということなのだろうか。 結論1 起=オギャー 承=早く人間になりたーい!、あら、今現在人間だったよ。そういえば。 転=? 結=チーン。ナームー。 あぁ、やっぱり、転がなんなのかわけ分からないや。えぇーい、強引に"起承転結"を変更してしまえ!俺の場合、起承承転承結が良いなぁ。あーあ、上で「"承"が"起"の次にくるべきものという制約があるこの題材の中で」なんて書いたのに、勝手に変更してしまう俺。いいのです。俺が作者だから、自由に変更できるの!"転"ってやつです。 最終結論 人生は起承転結ではまとめることができませんでした。いや、この4パターンでまとまってほしくないのです。これが結論。 起=オギャー 承1=早く人間になりたーい!、あら、今現在人間だったよ。そういえば。 承2=これが俺の役割だ〜。たとえば、「家族のためにがんばらねば」、「こんなことしたら、みんな幸せだなぁ」 転=え?ちょっと違うぞ!「こんなのどうだ?」 承3=おーおー、「こんなのどうだ?」がどうやら合っていたみたい。承2の経験も生きて、いい感じさ。 転?番目=え?またまたちょっと違うぞ!「こんなのどうだ?」 承?番目=おーおー、「こんなのどうだ?」がどうやら合っていたみたい。承?番目の経験も生きて、いい感じさ。 結=自分の人生、"生まれてから"と"現在"が、しっかりとつながりました。幸せ幸せ!チーン。ナームー。 はぁ、自分でも何かいているのか、わけわからないや。途中から面倒くさくなって、いいかげんっす。まぁ、暇なんでこんなん考えたりしていたんだよ。俺って。 年老いた俺へ 「この文ををどういう印象を持って読んでいるの?俺ってあほだったんだね。ねぇ、おっさん、今もアホですか?そうですか、アホですか。良かった。昔の俺は安心しました。」 |
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更新地 : Cancun ( Mexico ) | |
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