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雑記


2002年12月19日(木)
マナグア
- ビン・ラディン万歳にびっくり -

 
 この日、数時間に渡って、ホテルにて顔見知りとなったてバングラデシュ人と、酒を飲みながら話し込みました。彼らの年齢が25歳から30歳と私と近いこともあり、話題は、男女付き合いから政治的なものまで、多岐にわたりました。

 彼ら4人のうち1人は、米国のUCLAに留学していた、いわばエリート。他の3人も裕福な家庭に育ち、バングラデシュの一般庶民とは少し違った感覚を持っていたと思います。イスラム教徒でありながら、外国では大酒を飲み、各国で女性と性交渉を持ったりしながら、親の金で世界中を旅行しているとのこと。まぁ、旅行の目的、スタイルなどは人それぞれなので、この点で彼らを批判したりするつもりは毛頭ありません。話題の豊富な楽しい奴らでした。

 彼らとの話題の中で、私を最もびっくりさせたのが、「ビン・ラディン万歳」という言葉。2大政党の党首が武器による争いを繰り広げているといった自国(バングラデシュ)の政治体制を、「それらは武器を用いたものではなく、民主的に行なわれなければならないものだ」と批判しながら、他方では、「ラディンが行なった行為はイスラム教徒にとって正しい選択であり、賞賛に値すべきことだ。ラディンは、言ってみれば、我々の兄弟のようなものだ」と彼らは続けました。「米国を中心とした西側諸国は、いかなるイスラム諸国に対しても、軍事的な攻撃をしかけるべきではない。我々イスラム教徒は、その行為に対する抵抗を止めないだろう。そこには国の違いは関係なく、いかなる国のモスリムであろうとも、一致団結するんだ」。彼らの話は、「軍事的な争いは避けるべき」、一方で、「ラディンの行為は正しいもの」といったものでした。彼らの言葉に、矛盾を感じた私は、続けて質問しました。「ラディンが行なった行為も、一般市民を巻きこんだ軍事的な行為と西側諸国(「日本では」とは言えなかった。友好的に話しているこの関係を崩したくなかったから)では認識されているけれど、どう思う?」。それに対する答えはこうでした。「彼の行為は、アメリカのような侵略的かつイスラム圏を崩壊させようといった趣旨のものとは違う。あれはイスラム圏全体を救うための行為だったのだ。多くの人が亡くなったという事実があったにしても、そのほとんどがアメリカ人だろう。だったら、それは構わないことだ」。うーん、ますます分かりません。でも、その後、彼らの論理がなんとなく分かってきました。「バングラデシュの政治体制は、さっきも言ったみたいに、2大政党の党首がお互いの暗殺を計画したり、それを実行に移したり…、こんな体制を終わらせるためには、2大政党の上層部を皆、抹消するしかない。このためには、やはり軍事的な手段を伴った革命が必要だと思う」。こういったものでした。彼らの思考の中では、やはり、表向きというか、大まかな部分では戦争を否定しながら、最終的には軍事的な手段による解決を良しとしていたのです。その目的が、つまり軍事的な手段による問題解決の目的が、自分たちの思考回路の中で"正しい"という道を辿れば、それらは肯定されるべきことなのです。イスラム圏では"聖戦"と呼ばれるラディンの行為も、彼らにとって見れば、思考回路の中の"正しい"という道路を通ってきたものであり、この思考回路が、何に基づいて、どういった経緯で生成されてきたものなのかは定かではありませんが、これを変えることは非常に大変なことであると、私に感じさせたのでした。「目的が何であろうと、民間人を巻き込むような軍事的な争いは避けるべきなのではないか」などという私が持つ理想論的な意見は、彼らにとっては"あたりまえのこと"として大筋では共感できても、一方で軍事的なことでしか解決できないと思われるようなハードな問題を、2つも3つも、彼らは身近に抱えていたのでした。

 彼らと話している最中、「日本はかつてアメリカに戦いを挑んだ勇敢な国だ」、「我々は同じアジア人だ」、「バングラデシュと日本は国旗のデザインが同じだろう。バングラデシュでは、太陽は日本から昇り、バングラデシュに沈むと言われているんだ」、「親日のバングラデシュでは、ダッカからチッタゴンまでの高速鉄道として、日本の新幹線を発注した」といったような言葉を、彼らの口から聞きました。彼らは知っていたでしょうか?「日本の一部が米軍の基地として利用されていること」、「間接的?ではありながら、日本の国家予算の一部が米軍のために使われていること」、「仮にイラクへの攻撃が現実となった場合、日本の国旗が多くの場所で見えるようなかたちで貢献してほしいと、米国から迫られている実態」、「日本が憲法の解釈を変えたり、新たな法案を作成したり、憲法自体を改正しようとしながら、アメリカの後方支援ができる体制へと変化しつつあること」。私はこういった事実を彼らに伝えなければならないと思いながらも、言い出すことが出来ませんでした。彼らにとって、現時点では友好国である日本、そして彼らの友人である私が、一転して、全く反対の立場になってしまうような気がして、とても怖かったのです。

 こういったシリアスな話をしていると、いつも考えさせられるのが、私の意見を明確に話すべきかどうかということ。殊に、こういった初期の友人関係、つまり、まだそれほど深まっていない、浅い人間関係の相手と意見を交わしている場では、相手が理解できない、相手にとって気に入らない私のたった一つの意見が、私の全てを否定してしまうような状況が起こりやすいのではないかと考えるのです。また、私の意見が、日本全体で共有されている"それ"として捉えられては、大変困るのです。たとえ、「これは、日本では一般的な意見ではないけれども」などと前置きしたところで、私が日本で育ち、日本の教育を受けてきたことは相手も容易に想像しうる部分だと思います。日本にはこういった考えを持たせるような環境、社会があるということを、彼らが偏って捉えてしまうような事態は、私にとっては大変恐れることなのです。もちろん、深い人間関係の中では、そんな一つの意見の違いなんかで、協調関係が崩れるわけもないのですが。

 何か、文章が堅くなって、アホ旅行者らしくないのです。自分でも何を言いたいのか、わけが分かりません。つまり、いろいろな人と、様々なことを話すのは楽しいや!でも、そこには、ちらっと考えることもあるのさってことです。
 
 疲れたので終わり。以上!
 
更新地 : Managua ( Nicaragua )