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雑記


2003年05月24日(土)
チェンナイ
- お金持ちにならなくて良いや -

 
 チェンナイにて、暇つぶしがてら、市内で最も華やかで、かつ高級とされるショッピングモール、スペンサープラザへと足を伸ばしてみた。スペンサープラザの建物は、予想以上に巨大で、さながら先進国にあるデパートのようだった。内部には、ローレックス、セイコー、ソニー、ナイキ、アディダス…といった、欧米、日本の一流ブランドの店が軒を連ねていた。そこで仰天したことは、インドの一般庶民とは縁遠いと思われるこういったショップで、次々と買い物をするインド人家族の姿を多数目撃したことだった。もちろん需要があってこそ、こういった店が出店するわけであるから、多数の購買層がこの町にいるということは、いわば当然のことなのだ。しかしながら、実際に、「ローレックスの店で、時計を片手にカードで支払いをしている若いインド人女性」、「モール内を、片手にアイスクリーム、もう一方の手にナイキのスニーカーを抱え、走り回っている小学生くらいの男児」、「CD屋でアメリカ映画のDVDをかごいっぱいに詰め込んでいる中学生くらいの少年」、「リーバイスのジーンズを穿き、アメリカ国旗のバンダナを頭に巻き、店内を闊歩する若者たち」…、こういった人々の姿を実際に目にすると、やはり仰天してしまう。このモールから100mも離れていない場所には、赤子を抱きながら、また切断された足を見世物にしながら、1ルピーを求める人々が多数いるというのに、このモールの中は、全くの別世界なのである。貧困にあえぐインド国民、豊かなインド国民、双方がこんなに"すぐ"の距離の中に存在しているのだ。こういった状況は、どこの国にも存在するし、それが今の世の中では普通のことであるし、それに対し特に言うことも無いのだが、何か釈然としないものを感じる。「富める者が時に見せる、貧しい者への冷たい視線」、「富める家庭のこどもが、路上に座り込んだ大人や裸で走り回るこどもを見る際の、困惑の無いその視線」、「ショッピングをしているインド人家族の表情と物乞いをしているインド人家族の表情の、そのギャップ」、「観光地のやや高級な料理店で、お客として来ている家族連れのこどもと、調理された品を運ぶ給仕のこども、その双方の目が合った瞬間の彼らの表情」。インドを旅行しながら、そういったものを度々目にし、何かを感じてきたからかもしれない。こういった大きな差は、いつ、そしてどんなことをきっかけにして、それが生まれてきたのだろうか。いや、この国においては、そこには何もきっかけなんか無かったのかもしれない。なぜなら、人間が生まれながらにして、彼らの生き方の多くが決まってしまうような土壌も持っている国だから。もちろん、生まれによって全てが支配されるわけではないにせよ、そんな一面も持っている国だから。そんな国も、この世界にはある。それをどうこう言うわけではないが、そんな世界がある。ところで、上記に列挙した「富める者が…」の部分には、貧しい者からの視点が無い。反省した。機会があったら、失礼の無い程度に尋ねてみたい。「お金がたくさんあって、お金でいろいろなものを買うことが出来て、実際にそんな人々がインドにはたくさんいて、そんな人たちのことをどう思う?」。こどもとかが胸張って、「家族みんなで働いているほうが楽しいや!」、そんな風に答えてくれたら最高だな。
 
更新地 : Chennai ( India )