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旅日記 |
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2003年04月23日(水) ムンバイ 晴れ - ムンバイの駅前道路でダウン、数時間寝込む - |
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ナマステ。 朝9時、無事にムンバイに到着しました。列車から降り、ホームのベンチで横になること1時間ほど。10時頃になって、やっと動くことができるようになりました。 困ったことに、ここ2、3日の間、下痢と吐き気が止まりません。加えて、一昨日から一切食物を口にしていないためか、倦怠感と"めまい"がひどく、何をするにも一苦労です。何か口にしなければと思うのですが、その後の吐き気と下痢が怖くて、また食欲もあまり無いため、ミネラルウォーターだけで毎日すごしていました。今日の列車内でもつらかったです。1日に何十回とトイレに通うといった症状ではないのですが、1日に数回、乳白色の水のような便が出ます。何も食べていないため、出るものも無いのでしょう。めまいのために寝台から起き上がるのも億劫で、何もする気が起こりませんでした。 さて、10時にベンチから起き上がった後、「これはもうだめだ」と思い、駅のリタイアリングルーム(インドの大きな駅構内には、簡易宿泊施設がある。値段はそれほど安くないが、駅の中というロケーションが良い)へと向かいました。リタイアリングルームの受け付けで、尋ねてみました。 「ドミトリーのベッドは空いていますか?」 「あぁ」 「今すぐ入れますか?」 「入れるけれど、大きな荷物の持ち込みは禁止だから、君の荷物を駅のクロークに預けた後、また来てくれ」 あぁ、クロークはここから200mほど離れているのです。重いバックパックを持って、そこまで行く、その気力もありません。そして、もうどうでも良くなりました。とりあえず、すぐ横になれる場所がほしい。そして、駅前に出て、ベンチを探しました。しかし、ベンチらしきものはどこにも見つかりません。あぁ、もう駄目だ。道端にへたれこみ、横になりました。10分もすると、長い木の棒を持った警官がやって来ました。警官は、俺に棒を振りながら、「あっちにいけ」の仕草をしています。勘弁してくれよ…。せっかく横になれる場所を見つけたのに…。ふらふらと移動しながら、日本の警官がいかに優しいか、そんなことを思いました。日本の警察官だったら、第一声は「どうかした?大丈夫?」くらいでしょう。ここでは棒を振り回しながら「あっちいけ」だもの。10mも歩いて、駅の敷地を出ると、道端の木陰で横になりました。ここならば、警官に文句を言われることもないでしょう。通り過ぎるインド人達の怪訝そうな表情。あぁ、俺って廃人のようだ…。 2時間ほどが経過したでしょうか。昼過ぎになると、やっとめまいが治まりました。"しゃん"と歩くこともできそうです。とりあえず、駅のクロークに荷物を預け、何か口にすることにしました。駅構内のマクドナルドに入り、90ルピーもするチキンマックセットを頼みました。90ルピーというと、定食屋で定食を4回くらい食べることができる値段です。まぁ、体が弱っている今、カレーのような刺激物は控えたいのです(定食屋には、カレーか、カレー味のものしかない)。冷房の効いた店内でハンバーガーを食べ、コーヒーを飲み終わると、だいぶ気分もよくなって来ました。 「これなら、なんとか、今日中に移動できそうだ。ムンバイに宿泊することなく、今日中にゴアに向け、出発しよう」 インド1の大都市であるムンバイ(首都のデリーは、ムンバイ、カルカッタに次いで3番目)ですが、ここには、何の興味もありません。宿も驚くほど高額ですし、できるだけ早くこの町を出たかったのです。そして、ビーチが美しいと言われるゴアの海辺で、ゆっくりとしたかった。肉体的にも、精神的にも、今の俺には休息が必要でした。 まずは、ゴア(州の名前)までバスで行くか、鉄道で行くか、それを考えなければなりません。セントラル駅前のバスターミナルに行って尋ねてみると、ビーチ近くのマプサ市(ゴアの一部)まで行くバスが、21時に出るとのこと。値段は300数十ルピー。「17時に予約しに来い」とのことでした。次にセントラル駅のエンクワイアリー(質問所みたいなところ)を訪ね、聞いてみました。22時50分発で、マプサ近くのTivimという駅を通る列車があるとのこと。乗り換えの手間などを考えると、バスのほうが便利そうです。そうして、バスで行くことを決意したのでした。 17時までしばらく時間がありました。簡単にムンバイ市内を観光しておこうということで、荷物をセントラル駅のクロークに預け、近郊列車に乗り込んでムンバイの中心街へと向かいました。下車した駅は、チャーチゲート駅というところでした。駅構内で、見慣れた体重計を目にしたとき(インドの大きな駅には、たいていカラフルな体重計が置いてある。音楽が鳴ったり、人が量っているのを見ていると、なかなか楽しかった)、不意に体重を量りたくなりました。最近量っていなかったですし、ベルトの穴もすでに自分で2つほど穴を空けて(内側に)使っているような感じです。現在何キロくらいなんだろう。全く予想がつきません。体重を量ってみました。なんと結果は53Kg。あわわ。こんな体重を目にしたのは、中学生以来です。ジーンズやら靴を脱ぐと、51Kgくらいでしょうか。2年前、旅行を始めた時点で60キロあったはずの体重が…。そこいらへんの女の子にも抜かれそうなこの体重。もっと食べないと。そりゃ、ふらふらにもなるわけだ。中心街では、少し買い物をし、AMEXのオフィスでT/Cを両替してから、インド門、タージマハルホテルと一応の観光名所を廻りました。そして午後4時半、再びチャーチゲート駅から近郊列車に乗り込み、セントラル駅まで戻ったのでした。 17時20分、指定された時間に遅れること20分、バスターミナルへと到着しました。 「すみません。マプサ行きのバスを予約したいんですが…」 「え、明日のかい?」 「いや、今日のです」 「もうバスは行っちゃったよ?」 「え?、21時発のバスがあるはずなんですが…」 「そんなのないよ。17時発の一本だけだよ」 「だって、お昼頃にここで尋ねたんですよ?そうしたら、21時のバスがあるから17時に来いって…」 「あー、それは間違いだね。明日行きなさい、明日」 インド…、これがインド…。参ってしまいます。どうすりゃ良いのさ。ムンバイで一泊なんてしたくないのさ、俺は。おし、列車で行こう。気持ちを切り替えて、セントラル駅の予約オフィスへと向かいました。インド人と共に列に並ぶこと1時間(インドの駅はどこでもそう。外国人専用予約窓口のある大きな駅を除いて、1時間、2時間と列に並ぶことはあたりまえ。列車の予約を取るだけで、半日かかったりするのだ)、やっとおれの順番が来ました。 「すみません。今夜のゴア行きの列車で、Tivimまで予約したいのですが…」 「あー、その列車なら、この駅からの出発じゃないよ。ヴィクトリア・ターミナス駅(別名ムンバイC.S.T.)に行って予約して。外国人専用オフィスがあるから、すぐ予約できるはずだよ。今行けば、オフィスもあいていると思うよ」 セントラル駅のクロークに走り、急いで荷物をピックアップし、再び近郊列車に乗り、チャーチゲート駅(セントラル駅からヴィクトリア・ターミナス駅まで列車で行くと時間がかかる。最初にチャーチゲート駅まで列車で行き、そこからタクシーでヴィクトリア・ターミナス駅を目指したほうが断然早い)へと向かいました。近郊列車では改札、検札が無いのが分かっていたので、無賃乗車です。急げ急げ! 19時30分頃、ヴィクトリア・ターミナス駅に到着しました。早速エンクワイアリーで外国人用予約オフィスの場所を聞いてみました。 「すみません。外国人用予約オフィスはどこですか?」 「あ?、16時でもう閉まったよ」 「へ?、18時頃、セントラル駅で、この駅の外国人用オフィスのことを尋ねました。その際、係官はまだ空いているっていってましたよ?」 「それは間違いだね…」 また間違いかい!全く、インド!これがインドと分かっていながらも、もう嫌になってしまいます。 「今日中にゴアに行きたいのです。どうすれば良いですか?」 「皆並んでいるから、君も並んでみて」 ふー、予約窓口を訪れると、あれまぁ、100人以上のインド人が並んでいます。予約窓口は21時で閉まるらしいです。この人数からすると、今日、予約を取ることは不可能でしょう。もう駄目だと思いながらも、とりあえず並んでみました。全くもう。インド…。 でかいバックパックを担いだ汗だくのジャパニを不憫だと思った人がいたのでしょう。見知らぬインド人が、俺の元に駅員をつれて来てくれました。 「君はどこから来た?」 「日本です」 「いつの列車の予約を取りたいんだ?」 「今晩です。今晩22時50分の列車でTivimまで行きたいのです。どうしても今日行かなければならないのです」 「そうか。では、こっちに来なさい」 「え?どういうことですか?」 「いいから、来なさい」 言われたとおり、駅員の後をついていきました。駅員は「Close」の案内が出ている窓口に俺を連れて行くと、「ここで待っていなさい」の言葉を残して、事務所の奥へと消えていきました。変わって、一人の女性が出てきました。 「あー、もう、かったるいわねぇ!」 そんな感じの表情をした女性は、私に尋ねてきました。 「22時50分ね。Tivimだったわね。クラスは何にしたいの?」 「SL(2等寝台)でお願いします」 「SLは満席で、キャンセル待ち状態よ」 「他のクラスはどうですか?」 「1Aが空いているだけで、他は満席よ」 「1Aは無理なので、ウェイティングリスト(待機者リスト、いわばキャンセル待ち)に入れてください。席が無くても、とりあえず乗り込んで良いんですよね?」 「いいわよ。ただ10時間以上席無しだけど」 「それで良いです」 ありがとう、駅員を呼んで来てくれたインド人、ごめんよ待ちつづけているインド人達…。 22時半、ポーターに10ルピーを渡し、寝台車両の出入り口の場所を教えてもらいました。とりあえず一番乗りして、通路の良い場所に席を確保しなければ。床に敷く新聞も大量に入手しました。22時50分、列車に乗り込み、通路の端に寝れるだけのスペースを確保しました。「他のインド人に申し訳ない…」、そんなことは言っていられません。刺すか刺されるかの真剣勝負なのです。次第にSL車両内の通路には、俺と同じくウェイティングリストに載っている人々であふれ返り…。インド人と押し合い圧し合いをしているうちに、俺の領土もだんだんと減ってしまい…。気づいたときには、バッグとその横にやっと座れるだけのスペースしか残っていませんでした。こういう時のインド人ってすごく強いのです。控えめで気の優しいジャパニは、そんな強気の攻撃に、もうへこたれてしまいます。しかも相手はインド人の老夫婦とかそういった人々です。道徳の授業で習った「老人を大切にしましょう」、そんな気持ちが前面に出てしまいます。 22時50分、定時に列車は出発しました。寝台料金を払っていながら、椅子さえ無いこの状況。気の弱い控えめなジャパニは、インド人に遠慮しながら、体を小さく丸め、ムンバイを後にしたのでした。 |
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- 本日の出費 - |
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レート : Rs1(ルピー)=\2.5 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 移動費 - |
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- 飲食費 - |
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- 雑費 - |
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更新地 : MUMBAI ( INDIA ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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