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旅日記


2003年05月12日(月)
カニャークマリ
晴れ時々曇り
- インド入国から一ヶ月経過。インド後半のルートを考える -


 ナマステ。

 本日で、インド入国からちょうど1月が経過しました。インド亜大陸最南端でインド1月目を迎える。そんな、「とても切りの良いタイミング!」ということで、本日、残り資金を計算してみました。計算し終えて、がっくり。インドに入国して1月で200ドル(2万4千円)も使ってしまいました。日本で考えると「1月に2万4千円なんて!そんなのかかってあたりまえ」という感じかもしれませんが、ここはインドです。インド用の資金は300ドル程度と決めていたのに、既にその3分の2を使ってしまいました。うーん、どこを切り詰めるべきか。最近はビールも1週間に1本くらいと控えています。宿泊費も、一応下の中くらいの宿を探し、しかもがんばって値切っているつもりなので、これ以上はどうにもなりません。移動費は値引きなんて利くわけが無いので、これもどうにもなりません。やはり、行き着くところは、食費です。朝兼昼食のクッキーやビスケットを止め、1日1食ペースに戻すのが手っ取り早そうな気がします。まぁ、太りたくないってのも理由の一つなのですが。栄養補給のためには、夕食でお代わりしまくる(定食を頼むと、ごはん等はタダで食えたりする。ただ、毎日カレーは、体調的にも非常につらい。連日、下痢が続いたりするのです)のが良いかな。でも、はらが減ったら食わずにはいられない。3週間前くらいの連日立ちくらみ状態はもうごめんです。どうしよう…。毎食バナナにしようかな、安いし(バナナもいつも食べていると、結構飽きるのです)。

 あぁ、悲しくなります。なんでこんなに金が無いのだろう…。せっかくの旅行なのに。「帰国すれば?」と言われそうですが、今日本に帰ったら駄目なのです。長々と旅行できる機会なんて、若い時、おじいちゃんになった時と、一生のうちに数回くらいでしょう。だから、この旅行をそんな簡単に切り上げたくはないのです。しかし…、帰国してからが、今以上に大変でしょう。銀行残高2、3万円といったところです。苦笑してしまいます。当初の予定では、帰国時に50万くらいは残る予定だったのに、なんででしょう。盗難に遭ったりしたからねぇ。今となっては良き思い出です。現在はキャッシュはほとんど持っていないので、多額の金を盗まれる危険は無し。日本円は5百数十円しかないし(他は盗まれた。あっはっは)、米ドルも数ドルしかないし(他は盗まれた。あっはっは)。最近、帰国後のことも少し考えていますが、とりあえず金を何とかしないとなぁ。

 何はともあれ、こんな悩みも幸せな悩みなのでしょう。これまで訪れた様々な国で、またここインドの地でも多くの人と出会いましたが、パスポートを持っている人なんてのは、ほんの、本当にほんの一握りです。飛行機にさえ乗ったことが無い人々がそのほとんどです。パスポートを持ちたくても、その人にある程度のお金やステータスが無いと政府から発給してもらえない国も多いですし、そんな人にとっては海外旅行なんて夢のまた夢なんです。インドには、他人にバクシーシ(喜捨、心づけ)を求め、それで生活している人がたくさんいます。つまり、物乞いの人々のことです。他の国なんかとは無縁の、政治や経済、産業なんてものにも無縁の、自分や家族の毎日を考えるだけで精一杯の人がたくさんいます。食べるのにも困っている人がたくさんいます。私には、彼らに対し、ときたま数ルピーといったお金を渡すことしかできません。ただ、自分が自由にこの地球を旅行できたり、毎日食事を取ることが出来たり、毎日ベッドの上で寝ることが出来たり、そして、両親や兄弟が元気だったり、友達がいろいろ話を聞いてくれたり、こんなことが本当に幸せなことなんだと、それだけは、しっかりと認識しておきたいと思うのです。ということで、お金の話はどうにでもなるもの。日本でがんがんに働けば良いだけのことだものね。

 さて、話は変わって、今日はインド後半のルートづくりをした日でもありました。どういう風なルートでネパールまで抜けようか…。13時、とりあえず、ここカニャークマリからどの町に向かって移動するか、そのことだけを決め、バス、鉄道の情報を集めに、州政府のツーリストインフォメーションへと向かいました。宿から歩いて10分ほど、ツーリストインフォメーションのある建物内に入ると、奥の部屋でソファーにふんぞり返っている親父さんが、私を手招きしました。
「こんにちは。バスや鉄道に関していくつか聞きたいことがあるのですが…」
「よいですよ」
話し始めは、なかなか物腰のやわらかい、立派な紳士かと思いましたが、バスの予約について話を進めているとき、彼の本性が顔を出しました。
「もし、君が私にいくらかのチップを払えば、特別に予約してあげるがね」
もともと、予約をお願いする気なんて毛頭無いのですが、彼の素敵なアドバイスをむげに断るのも紳士的で無いので、やんわりと断りました。
「ありがとうございます。しかし、出発の日がはっきりと決まっていないので、今は予約をお願いできないのです」
「そうですか」
「それで、日付が決まり次第、自分で予約をしようと思うのですが、予約はどこで出来るのですか?」
「教えたくないね」
あっけらかんとしたその言い様に、いらいらすることも全く無く、逆に笑顔になってしまいました。すごいや、おっちゃん。全く悪びれる態度も無く、この言い様。これぞ、政府のお役人様だ。素敵なお役人様に別れを告げ、とにかくバススタンド(バスターミナル)まで行ってみました。ツーリストインフォメーションからバススタンドまでは1Kmほどの距離でした。1日のうちで最も気温の高いこの時間、1Kmの軽い上り坂は良い運動になりました。額から汗が落ちます。バススタンドでも様々なことを質問し、それから駅へ。バススタンドから駅へは3Kmくらいの道のりでした。ここでも汗だく。駅でも様々なことを質問し、結果、今後はこのようなルートをとることに決めました。

-- カニャークマリ(現在滞在中のインド亜大陸最南端の地)

→ タンジャヴール(インド南東部の小さな町で、カニャークマリの北東400Km、チェンナイの南400kmの場所に位置します。町の中心であるブリハディーシュワラ寺院は、南インドにおける寺院建築の最高傑作と言われ、世界遺産にも登録されています)

→ ポンディシェリー(1954年の独立までフランスの植民地だったという、イギリス色の強いインドの中では、少し変わった町。チェンナイの南160Kmの位置)

→ マハーバリプラム(世界遺産の海岸寺院がある、チェンナイの南60kmの町。ビーチもあるので、ベンガル湾での初泳ぎをしたいと思います)

→ チェンナイ(改称前の名前はマドラス。人口540万人。ムンバイ(ボンベイ)、コルカタ(カルカッタ)、デリーに次ぐインドで4番目の大都会。ここでは、インターネットをしたいと思います)

→ カジュラーホー(世界遺産のエロティック彫刻寺院群がある町。インド有数の観光地です)

→ ヴァーラーナスィー(言わずと知れたヒンドゥーの聖地中の聖地。前回訪れた際の景色が忘れられず、再度の訪問です)

→ クシナーガル(ブッダが亡くなった地。仏教を勉強します)

→ ルンビニー(ブッダの生誕の地。ネパール国内。仏教の勉強をします)

→ カトマンドゥ(ネパールの首都。日本大使館を訪れたり、SARSの情報を仕入れたりと、忙しそうです)

かなり急ぎ足で北上しても、カトマンドゥまで1月くらいかかりそうです。6月上旬ネパール入り、そして6月中旬くらいにバンコクに飛べれば良いかな。そのころには、SARS問題も落ち着いていて欲しいものです。

 さて、現在午前4時(5月13日)です。なんとか日の出まで起きていて、海で朝日を浴びながら沐浴する巡礼者の姿を見てこようかと思います。その後、就寝予定。昼くらいには起きて、ガーンディー記念堂や離れ小島にあるヴィヴェーカーナンダー記念堂にでも行ければ良いな。

 おやすみ。じゃなかった。寝たら駄目なんだ。

 「さようなら?」かな。
 

- 本日の出費 -

レート : Rs1(ルピー)=\2.5

- 移動費 -

From: To: 手段: 値段: クラス:
 

- 飲食費 -

クッキー * 1 (朝兼昼食) Rs5
コーラ * 1 (おやつ) Rs6
ミールス * 1 (夕食) Rs15
 

- 雑費 -

SCISSORS FILTER * 1 (たばこ) - 1パック20本入り Rs30
マッチ * 2 Rs2
宿代 Rs130
お布施代 Rs5

更新地 : Kannikumari ( INDIA )

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