こんにちは。
まずは旅日記らしく、台南の両替事情なんかを書いておきます。台湾ではT/C(トラベラーズチェック)の両替時に高額の手数料を要求されることが一般的です。本日、台南でT/Cを両替しようと思い、6件の銀行をまわりました。結論を書きます。お勧めは「The
Shanghai Commercial Savings Bank」です。台湾系の銀行よりほんの少しレートは落ちますが、手数料無しで換金してくれます。おすすめです。ところで、こういったことってよくあります。「ここの国の銀行では手数料を多く取られるから、隣の国が資本を持つ銀行で両替しよう。そうすれば手数料無しで両替できるから…」。旅行の知っとくと便利な知識の一つですね。
さて、表題について。今日、ここ台南一の観光スポットであり、台南市のシンボルともなっている赤嵌樓(せつかんろう)という楼閣に行ってきました。館内で貰ったパンフレットによると、
"赤嵌樓(せつかんろう)こそは台南市でいちばん有名な古蹟であり、台南市のシンボルでもある。明朝の永暦7年(1653年)、オランダ人はここにプロビンシャ城をたてた。赤嵌樓は明朝末期の鄭氏一族の時期、清朝時代、及び日本統治時代の変遷を経て、終戦後の現在にいたるも一つの風雅優美で、内容豊富な建築物である"
とのことです。そして、この解説にもあるように、この建築物は実に優雅なもので、木製の扉やら屋根のデザインなどは一見の価値のあるものだったのだけれども、俺が今日書きたいことは、それとは少し違うものなのです。
実は、今日、この赤嵌樓にて涙を流してしまいました。なんてことのない一つの銅像をみただけのことだったのだけれども。狭い赤嵌樓の中に入ると、奥のほうの殿の脇に、その銅像は置かれていました。そして銅像になっているその人物の名前を見ると、そこには"羽鳥又男"という日本人男性の名前が記されていました。銅像の下に中国語の解説がありましたので、少し転載します。
羽鳥又男 (1892-1975 日本群馬県)
日治時代台南市末代市長、任内為尊重台湾文化、對保存歴史古蹟、文物及民俗厥甚偉。一九四二年四月就任台南市長。他任内為尊重台湾文化、對保存歴史古蹟不使餘力、當時適逢戦時財政軍方反對、但羽鳥市長竟能克服各種困難先後修護孔廟及赤嵌樓…
これを読みながら、なぜか涙が込み上げました。わかりますか?
日本の植民地支配というと、虐殺や搾取、そんなことばかりが耳に入ります。植民地支配、もちろんそんなことが許されるべきことだとは言いません。ただ、「こういった銅像がある」。そんなことを、日本人として誇らしくも思えます。混乱した戦時中に、現地の人々から感謝されるようなこんな日本人もいたのだ。こういう人々が少なからず台湾各地にいて、そういった人々の苦労があったからこそ、現在台湾の人々が日本人を見かけると気軽に日本語で話し掛けてくれたりするような土壌ができたんだろうなぁと感じます。毎回、教科書が改定される際に、歴史の教科書が問題になります。中国から横槍が入り、韓国から横槍が入り、日本の各方面から横槍が入り、虐殺?搾取?事実であれば、それは教科書に掲載されるべきことです。事実を学ぶのが歴史です。そこに自己否定も肯定もありません。ただ事実を載せるまでです。そして台湾ではこんな銅像が出来ている事実もあります。日本の教科書に載って欲しいような事実の一つです。
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