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旅日記


2003年01月12日(日)
タンジェ
晴れ
- モロッコのまとめ -

 
 1月1日の日記を最後に、しばらく日記が書けませんでした。理由はというと…。宿泊した全てのホテルにコンセントが無かったためです。つまりパソコンが使えなかったということなのです。これマジで。面倒くさくて書かなかったわけでも、毎日酔っ払っていたから書けなかったわけでもないのです(1週間以上、酒は口にしていませんってば。ここはアフリカ、そしてイスラムの国、つまり禁酒の国だからさ)。ということで、年が明けてから今日までの行動を今日はまとめて記録しておきたいと思います。

 カサブランカには、結局1月3日まで滞在しました。ココでは良い人にたくさん出会いました。特に、毎日2回通ったレストランのおばちゃん&おにいちゃんとは、ご飯を食べ終わった後にモロッコのゲームしたり、アラビア語を教えてもらったり…、とても陽気で良い人達でした。

 1月3日の夜にはCTM(国営バスの名前)の夜行バスでモロッコ南部のワルザザートという町に向け出発しました。バス代は120DHもしましたが、バス内は暖房が効かず(こんな高い値段なのに…)。そのため、寒さで眠ることも出来ず、震えながらワルザザートまでの8時間を耐えたのでした。翌日(1月4日)の朝5時にワルザザートに到着し、バス停の前にあった温度計を見たら、なんと気温2度。バス停前の空き地で、風よけのために拾ってきたダンボールを体に巻きつけ、1人夜が明けるのを待ったのでした。あの時は、本当につらかった。この地の寒さは日本のそれとは少し違って、なんと言うか、風が肌や服を突き刺すような感じのものです。バス内では取り出すことの出来なかった(バックパックを荷室に入れていたため)セーターと寝袋をバックパックから引っ張り出し、5枚重ね着+寝袋+ダンボールといった重装備で夜明けを待っていたのですが、太陽が出て、そして歩き出すまでの1時間半の間、ずっと震えがとまりませんでした。朝7時、眠気と寒さでぐったりしながら、近くのホテルを目指しました。見つけたホテルでは、朝早い時間にもかかわらず、無事チェックインできました。が、ホテルの部屋には暖房もなければ、共同シャワーも水シャワーのみ(ホットシャワーが無い…)。冷え切った体を温めることも出来ません。フロントに頼んで毛布を2枚用意してもらい、ズボンも重ね履きし、服だけで10Kgくらいあるんじゃないかといった重装備のまま就寝したのでした。

 1月4日、サハラ砂漠の南東部に位置するメルズーガという町を目指すべく、途中の経由地としてエルフードというサハラ砂漠に程近い町に移動しました。移動手段は私営バスでした。ワルザザートからエルフードまで、バスの値段は70DHくらいだったでしょうか。後の1月6日、このエルフードの町を出ることになったわけですが、この町での3日間の滞在は、何と言うか、非常に後味の悪いものとなりました。このエルフードという町には、サハラ砂漠を目指す旅行者が世界中から集まってきます。しかしながら、私がこの町を訪れた1月はローシーズンということもあり、ここを訪れる旅行者の数はそれほど多くありませんでした。2時間ほど町の中心地を歩いて、1人の外国人(モロッコ人以外)を見かけるかどうか…といった感じでした。ハイシーズンには、町の中心部で多数の外国人を見かけることができるとのことですが…。この町では、それら旅行者を狙った砂漠ガイドやらツアーガイドといった職業を持つ人物をいたるところで見かけることが出来ます。旅行者が少なく、ガイド間の競争が熾烈なこの時期は、道を歩いているとき、レストランで飯を食っているとき、そんな際に、うんざりするほどの数の自称ガイドが話し掛けてきます。もう、本当に奴らは嘘つきまくりで…。

「メルズーガへ行くミニバスは客が少なくて、今の時期は運行していない」(実際は運行しています)

「ミニバスは現地庶民の足だから、旅行者は乗ってはいけない。この辺りでは、それが常識となっている」(問題なく乗れます。乗客も歓迎してくれました)

「メルズーガまではバスでは行けない。起伏の激しい砂漠を通っていかなければならないので、4WDでなければ行けない。俺の弟が4WDを持っているから、それに乗っていけ。日本人はフレンドだからグッドプライスを教えよう」(起伏は激しくないので、ミニバスで行くことが出来ます)

「〜ホテル(当時俺が泊まっていたホテル)の主人は悪い奴で、良く、客の物を盗む。今のホテルは辞めて、俺の紹介するホテルに来い」(ぜんぜんそんなことはありませんでした)

多くの人とフレンドリーに話したいばかり、そして彼らの生活ぶりや考え方を知りたいばかりに、誘われれば、喜んで一緒にお茶する俺。多くの人に誘われ、そしてフレンドリーに話していると、その中の8割ほどが、上記のような話をはじめます。こんなことが繰り返され…、そして10人中2人の、本当に損得無しに旅行者である私とコミュニケーションをとろうとしている、そんな人の誘いもあっさりと断ってしまう自分がいました。本当にこういうのって難しい。一般的に言われるのは、「向こうから声かけてくるような輩には注意」ってことなんでしょうが、本当に私に対して何かHelpをしたくて声を掛けてきてくれる人も多いから、混乱してしまうんです。あぁ、難しい。そして1月6日、多くのモロッコ人に助けられながら、ミニバスで、モロッコ旅のハイライトである"砂漠の町メルズーガ"に移動したのでした。値段は25DHでした。そうそう、エルフードでは「ホテル・メルズーガ」に宿泊しました。値段は40DHくらいだったかな?

 メルズーガには3日間滞在しました。この町ではホテルが大正解でした。ホテルの名前は「オーベルジュ・ロアジス」。値段はシングルルームが1泊50DH。このあたりでは安宿として平均的な値段です。このホテルはシェビ大砂丘のすぐ横にあり、砂漠(多くの人が想像する、黄茶色の砂漠)へは5分も歩くとたどり着けます。さらに30分ほど歩き、近くにある砂丘の頂上に上ると、360度一面砂漠、見渡す限り砂漠といった光景を見ることが出来ます。しかし、このホテルで特筆すべき点は、そのロケーションではなく、このホテルで働くスタッフ達なのです。アリさん、モハメッド、ハミッド…。皆本当に愉快で、親切で、本当にすばらしい人々でした。実はこのホテルは、4人の兄弟によって運営されています。先に書いたアリさん、モハメッド…がこれら4人兄弟なのです。彼らの年齢は40〜50歳くらい。彼らとはテーブルゲームしたり、ボール投げしたり(フランスの"何とか"という鉄球を投げるスポーツ)、ドミノと呼ばれるゲームをしたり、本当に楽しい宿でした。また、このホテルに宿泊していた人々も経歴が多彩で、楽しい人ばかりでした。レゲエ大好きドレッドヘアのドイツ人(こいつはとことんアホだった。鉄球ゲームでよく遊んだ)、フランスから来ているパリ在住の日本人画家(見た目は40代後半くらいの普通のおばちゃんなんだけれど、絵と歌は上手かった!)、同じくフランスのパリ在住の50歳の日本人女子学生(子育てが終わって、現在はパリの大学に留学中。すごいバイタリティの持ち主!)、砂丘でスキーをしていたスイス人のプロスキーヤー(スキー持参で、スイスから車で来ていた。こいつもアホだった。奴のおんぼろエスコート(フォードの車の名前)に乗って、パリダカ気分を味わった。車横転するんじゃないかと、何度も思ったもの)。このメルズーガでの3日間は、モロッコで最も楽しい思い出となりました。

 1月9日朝7時、モロッコ北部の大都市フェズを目指すべく、ホテルのスタッフに見送られながら、メルズーガの「オーベルジュ・ロアジス」を後にしました。午前8時、フェズ行きのバス停があるリッサニという町に到着。ちなみにミニバスの料金は15DHでした。2時間ほど町をぶらついた後、CTM(モロッコ国営バス)のオフィスを訪ねると、バスは20時発とのことでした。早速バス代120DHを払うとともに予約を入れ、再度町歩きをしました。ここでもたくさんのすばらしい人々と出会いました。カスバ(城砦都市?)を丁寧に案内してくれたおじいさん、CTMオフィス横の喫茶店のスタッフ、バスの発車時間まで数時間も"お絵かき"して遊んだ喫茶店の息子。皆、人懐っこくて、本当にサービス精神豊かな人たちでした。これらの人々に見送られながら、20時、喫茶店のまん前から、笑顔でCTMのバスに乗り込みました。フェズまでの移動時間はおよそ10時間。1月10日の朝6時にはフェズ到着だ!勇んでバスに乗り込んだのでした。この後に悲惨な出来事があることも知らず…。

 1月10日真夜中の0時、バスは旅程の半分ほどの距離を順調に進んできました。バス内ではなぜか人気者になり(現地人にからかわれている)、俺には"ショウリン"というニックネームがつけられました。バスがゆれるたび「ショウリン大丈夫か?」、経由地のバスターミナルに停車するたび「ショウリン、腹減ったか?パン買ってきたから、半分食え!」、「ショウリン、たばこ一本くれ!」、「ショウリン、俺の隣に座れ!」そんな声がかかります。おいモロッコ人!なぜ、最後部席に座っていた日本人大学生には話しかけない!、なぜ俺の後ろの席に座っていたフランス人カップルには話しかけない!、なぜ俺だけをからかってくるんだ?、俺がギャグを返すからか?、俺が一生懸命変なアラビア語を話そうとしているからか?俺のアクションがそんなに可笑しいか?(まぁ、ちょっと自慢かも。俺って、こういうふれあいが本当に楽しくて、好きだから。からかわれ役を買って出るよ!)バス内のショウリンファンは1人から2人へ、そして10人へ。しまいには、バスの運転手まで「ショウリン!、日本までバスで帰るんだったら、俺が運転して行ってやる。10,000DHでどうだ?」なんてことを、運転しながら大声で言い出す有様。日本人大学生やフランス人は「なんだ?この馬鹿日本人は」なんて思っていたことでしょう。さて、バスは真夜中の1時にアトラス山脈の8合目付近にある、とある町のバスターミナルに到着しました。30分くらい後と思われるバスの発車時間を待っていると、突然強く雪が降り出しました。10分もすると、黄土色だった辺り一面が、銀世界に変わりました。暖房なし、チェーンなしのバスは、予期しない雪のため、この地に3時間ほど停車しました。本当に寒く、つらい一晩でした。午前4時、これ以上の遅れは、他の路線運行にも支障をきたすとの運転手の判断で、バスは再度フェズに向け出発することとなりました。あー、この時点で3時間の遅れ。フェズ到着はお昼近くになるかな?そんなふうに思っていました

 「ブルッ、ブルッ、ブルルル〜」。あーついにエンジンが切られました。ガソリンの残量を考えてのことでしょう。現在1月10日の午前9時。バスは積雪50cmの中、道路の真中で身動きできないまま停車していました。ものすごい吹雪と積雪のため先に進めなくなり、バスがストップしたのが午前7時頃でした。猛吹雪の合間に直線道路の両端に目を凝らしましたが、後ろにも前にも車の姿はなし。運転手、乗客各自が、既に数十回トライした、携帯電話での警察への連絡も、いまだ成功せず。バスには無線設備もなし。「うーん、ここで凍え死ぬかもしれないね〜」なんてことも頭をよぎりました。バスの窓の隙間から入ってくる粉吹雪、凍り付いてしまい開かないドア、バスの中は猛烈な寒さのため、「おー、こういうふうにして人々は凍死とかしていくんだね〜」といった雰囲気。なぜか、妙に落ち着いて様々なことを考えられる俺がいました。「このまま雪が降り続いて、助けが来ないままに数日が過ぎたら、どうやって生き延びようかなぁ。こういう手もあるなぁ。いや、ああやったほうが良いかなぁ…」

 14時頃でした。バス内に拍手が沸き起こりました。ショウリン(俺)もガッツポーズ!乗客同士抱き合いました。なんと吹雪の中、目の前に除雪車とパトカーが現れたのでした。「ショウリン!雪かきするぞー!」。バス内の男性全てが外に出て、70cmくらいまで積もった雪の中からバスをかきだしました。そして何度も何度も、バスを後ろから押したり、前から押したり、午後4時頃、やっとバスは動き出しました。このとき判明したのですが、我々のいた道路は今朝から通行止めとなっていたようでした。だから車の姿が1台も見えなかったのね!我々は今日のフェズ行きをあきらめ、除雪車の後ろについて、昨晩停車していたバスターミナルに引き返しました。バスターミナルには18時頃に到着。その後は、「通行止めが解除され次第、フェズに向け再度出発する」とのことでしたので、上着6枚にズボン2枚を着込み、その上にバスタオルを巻き、寝袋に入って、極寒のバス内の就寝したのでした。

 バスが再度出発したのは、1月11日の午前7時頃でした。いまだ雪が残る路面を、バスは慎重に進みました。そして、1月11日の16時、ついにフェズに到着したのでした。1月10日朝6時着のはずが、予定より34時間遅れて1月11日の16時に到着。結局、44時間もバスの中にいたわけだ…。日本じゃ聞いたことないよ、34時間の遅れなんて…。日本だったら、運転手も乗客も途中であきらめるだろうね。バス会社が払い戻しとかするのかしないのかわからないけれど、1度仕切りなおすだろうね。やるな、モロッコ、根性あるよ。

 フェズに着いたその日は名も知らない安宿に宿泊しました。値段は35DH。安い割にシーツも綺麗でしたし、毛布もありました。シャワーは水だったんで、さすがに浴びませんでしたが、なかなか良いホテルでした。そうそう、このごろ酒を飲んでいないから、お金の減り具合が良い感じです。"減り具合が良い感じ"という表現もおかしいのですが。飯も一日一食(なぜか、腹が減らない)なんで、ホテル代と飯代、タバコ代で、一日に90DHくらいずつ減っていっているでしょうか。ヨーロッパに向け、うまくセーブできています。ヨーロッパではがんがんに飲んでやる!

 そんでもって、今日は12月12日。朝の9時にフェズのホテルをチェックアウトして、フェズ駅13時発の急行列車に乗車、午後7時、ここタンジェの町に到着しました。ここは、モロッコ最北端に位置する町で、ここから船でスペインに渡ることが出来ます。結局フェズでは町歩きさえしませんでした。モロッコで、まっさきに旅行者が目指す古都マラケシュにも行っていません。メクネスも素通りしてしまいました。あぁ、俺の旅行って…。ハイライトは砂漠のみでした。ガイドブックがないと、こういうところで損をしてしまいます。何も情報が無いから、観光すべき素晴らしい町を素通りしてしまいます。たぶんホテルとかも、もっと安くて良いところがたくさんあったんだろうなぁ。またまた日本にたとえてしまうけれども、日本でいえば、京都、奈良、鎌倉には行かず、首都の東京にさえも行かず…。地方の中規模都市と鳥取砂丘を観光したって感じかな。あぁ、俺の旅行って…、随分勿体無いのかなぁ。まぁ、いいや。後悔してもしょうがない。

 最後に、今日は先にも書いたとおり、列車で移動してきたのだけれど(フェズからタンジェまで2等で95DH)、この車内で少しドキッとしたことがありました。フェズから経由地のメクネスまでの2時間、私のいたコンパートメント(モロッコの列車は、1車両に数個の個室があり、個室内には8人が座れるようになっている。そういう個室をコンパートメントって言うよね?言わない?)は、俺とモロッコ人女性の二人きりだったのでした。私が「どこまで行くんですか?」なんて声を掛けたたのをきっかけに、彼女が降車するメクネスまでの2時間、英語、フランス語、アラビア語のごっちゃまぜで世間話をしていたのでした。メクネスに到着する間際でした。彼女が突然、「住所と電話番号を教えてくれませんか?」なんて言い出したから、なんだかびっくりしてしまいました。また、「途中下車して私の家族に会っていきませんか?」なんて言葉がその後に続いたものだから、さらにびっくり!まぁ、友達感覚で掛けてくれた言葉だったんだろうけれども、このモロッコは、キスはおろか、男女が公衆の面前で手をつないだりすることさえ御法度なお国柄です。町で若い女性に声をかける男性も皆無。ボーイフレンドやガールフレンドを持つことさえ、なかなか大変な国らしいのです。そんな国で、綺麗な女性からこんな言葉を投げかけられたから、びっくりしてしまったのです。まぁ、住所交換だけして、お宅訪問は丁重にお断りしたのだけれども。うーん、行っておけば良かったかなぁ。なんか、モロッコも変わりつつあるということなのかなぁ。写真見てみて〜!綺麗な人だから。

 以上。明日は、船でスペイン入国にトライしてみようと思います。船に席があるのか、いくらかかるのか全く分からないけれども、早朝港に行ってみれば、なんとかなるでしょう。だめだったら、名もしらないこの安宿に舞い戻ってこようと思います。
 
 もうひとつ。ガーナに行ってみたかったんで、旅行代理店で飛行機の値段を調べてみましたが、高すぎる!。なので、ひそかに計画していたガーナ行きはやめました。よってアフリカ編はここまでになりそう。
 

- 本日の出費 -

レート : E1(ユーロ)=\125
レート : 10.5DH(ディラハム)=US$1=\120

- 移動費 -

From: To:
 

- 飲食費 -

 

- 雑費 -


更新地 : TANGER ( MOROC )

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